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秋田、夢の通い路<episode 5>終幕

 話は古代まで遡る。  当時の惣台村に、「夢問い(ゆめどい)」という風習があった。これは平安の都でも流行していた、呪い(まじない)の一種だ。  想い人と結婚することが自由にできなかった時代、せめて夢の中で逢瀬を重ねようというものである。方法は簡単なもので、寝間着を裏側にして着ると夢の中で想う人に逢えるというのだ。  だが、呪いというものは素人が行うと実に不確かな結果が出る。その多くは真価を発揮せずに終わる。只人の手で行ったがために効果が表れなかった呪いの多くが、「迷信」として片付けられてきた。  ところが、惣台村でこの夢問いを行ったのは神に仕える神官の娘であった。彼女は只人として生まれたが、毎日の祈祷や潔斎によって神通力を宿すようになっていた。そんな神仕えの娘が行った夢問いは、間違いなく成功したのだ。  彼女は毎夜のように夢問いをして、想い人に逢いに行った。この夢問いだが、気をつけなければいけないのは、目が覚めるまでは魂が肉体から離れてしまっているということだ。  不幸なことに、娘の肉体は夢を渡っている最中に死んでしまった。寝間着を反対にしていることが父親に気付かれ、神仕えの娘が逢瀬のための夢渡りなど不届きだと殺めたのだった。  魂は死んだ肉体には戻れない。かわいそうに、娘の魂は夢路を彷徨い続けることになる。  そして娘の亡骸は、山神への供物として社に捧げらた。  この娘の話は、『裏返仇囲陣幕』という明治期に廃れた浄瑠璃の演目を読み解き、地誌と照らし合わせて千歳君のお父さんが導き出したものだ。  昨夜に千歳君から受け取ったノートを中村君と読み込み、判明した内容をまとめた僕は、由良鶴子さん宛てのメールにレポートを添付して送った。  由良鶴子さんは境越祓所に所属しており、今回の要請に応じて惣台村に派遣されることになった。非常に優秀で、彼女が関わると大抵の調査は即日で終わってしまう。応援が来ることは昨日の内に夏井氏に伝え、お世話になる人間がもう1人増える件については了承いただいている。 ●  追加の情報、ありがとうございます。  私からも報告があります。佐々木長官に問い合わせてみたところ、今朝返答を頂きました。神社庁への報告記録はなかったのですが、秋田の農村で、鎌倉時代に僧が祟り神を封じたという伝説が八百白館の記録に保管されていたそうです。惣台村とは明記されていませんが、地理的に似通っている部分が大きいのでお知らせします。  ある村では毎年必ず若い人間が1人、原因不明の死を迎えていたそうです。そこに、全国行脚をしていた僧侶が、「山神が人攫いをしているからだ」と原因を突き止めます。そして、この神の力を削ぎ、封じたといいます。それからは、突然死も無くなったそうです。  この僧侶は名を愚彗坊(ぐぜいぼう)というのですが、元は陰陽寮の方技といって呪術専門の技術職の官僚でした。陰陽寮のことであれば東河寮に記録がないかと思い、城守長官にも問い合わせしました。鈴川さんを飛ばして東河寮に連絡を取ったこと、先にお詫び致します。  城守長官からは、愚彗坊の記録はほとんど残っていないが、神封じの専門家であったという回答を頂きました。特に獣の姿をとった神に対して、力を削ぐ方法を数多持っていたそうです。  例の狼神山に祀られていたという神ですが、頂いたレポートの内容から白い狼の姿をした神でしょうか。であれば、愚彗坊の方術によると一部の足を削いで封じた可能性が高いです。  ただ、愚彗坊が不審死を神隠しだと判断した理由がよく分かりません。今回の調査依頼である「原因不明の死が呪いと関係するか」について、現場ではどう思われますか。鈴川さん、中村さんのご意見もお聞かせください。  あと40分程で到着します。また詳しいことは現地で話し合いましょう。  よろしくお願いします。 ●  「由良さん有能すぎ」  そう感嘆の声を漏らした中村君の意見に僕も同意する。僕が送ったメールに返信する形で由良さんからもたらされた情報は、今回の案件に深く関わるものだと推察できた。  「神様の力を削ぐとか、俺には想像もつきませんねー。発想も、方法も。それで、そのお坊さんが色々やって、社を潰しちゃったってことでしょうか。ほら、あの古い史料によると八幡様が祀られたのも鎌倉時代だったでしょ。壊した社の代わりに他の神社を建てたとか…考えられませんか」  「いや……それはどうだろう…」  中村君の仮説には、どうにも違和感がある。  「僕は神封じについて詳しいわけじゃないけれど、数々の遺跡や社を見てきたことから分かるのは…神封じにも社、もしくはそれに準ずるものが必要なんだよ。だって、『無い』ものは封じられないから。そこに神様の居場所をちゃんと残した上で、きちんと手順通りに封印するはずなんだ。社がなければ石碑とか注連縄とか…それすら無いのは不思議なんだよ」  由良さんの到着まで、夏井氏宅の居間で2人で議論を重ねていたところ、玄関の鍵がガチャガチャと開けられる音が聞こえてきた。夏井氏が戻ってきたのかと、襖を開けて確認したところ制服姿の千歳君が帰って来ていた。  「千歳君、学校はどうしたの。まだ昼前だけど」  「それが、うちの学校、崩れた山の麓近くにあるから、危険を考えて休校になったんだって。登校中に決まったみたいで、学校着くなり校門前で先生にまっすぐ家に帰るように言われたんですよ」  「ああ、登るときに見えた学校、あれが千歳君が通ってる中学だったんだ」  「そうです。1学年に1クラスくらいしかない小さいとこだけど…」と言いながら、千歳君は何度か逡巡した様子を見せた。  中村君が「どうしたの?」と尋ねると、「俺、ちょうどお二人に話したいことがあって」と口を開く。だが、次の言葉の前に僕の携帯電話が鳴った。由良さんからだ。  「由良です。『川野辺』というバス停で降りましたけど」  「ああ、うん。そこで合ってるよ。お世話になってる家の最寄りだから、今から迎えに行きますね」  そう言って電話を切り、由良さんを迎えに行く旨を話すと、中村君と千歳君も同道することになった。千歳君の話を切った形になったが、また改めてと本人から言われてしまった。  バス停前に立っていた由良さんは、以前にも調査現場で会ったときと同じく、本当にその鞄の中に宿泊用品が全て入っているのかと疑いたくなるようなスッキリとした手荷物具合であった。  声をかける前から先にこちらに気付き、駆け寄ってくる。その様子は、まるで映画のワンシーンのように爽やかで美しいと、朴念仁の僕でも感じた。彼女とはつい最近葬儀の場で会ったが、喪が明けきらぬなかでも彼女の凛とした雰囲気は全く崩れていなかった。  挨拶を交わして、千歳君を紹介する。  千歳君にお世話になる挨拶を丁寧にした由良さんだったが、「どうしましょう」と小さく首を傾げた。  「私の荷物はこの通りですので、このまま例の山まで連れていっていただこうかと思っていたのですが…」  部外者である千歳君だけ、家に戻ってもらうべきかと考えているのだろう。僕が千歳君に伝えようかと思ったところ、彼のほうから「もしよかったら俺もついて行っていいですか」と尋ねられた。  「ええと…」  彼の立ち位置がまだ分からない由良さんが、僕達に視線を向ける。  「実は、例の資料のほとんどが千歳君のご両親が生前に研究されたものなんですよ」と中村君が説明する。  「はあ…」  だが、それだけでは千歳君をこの件に深く関わらせる理由としては足りず、由良さんは依然困惑していた。  僕達は、彼の夢歩きの特殊な性質が、何かの鍵になり得るのではないかとも考えているのだが、本人の許可なくそれを話すことはできない。  すると、それまで黙っていた千歳君が口を開いた。  「今回の山崩れ…もしかしたら、俺のせいかもしれないんです。俺が、あの山に女の人がいるって話したから」  「どういうことですか?」  由良さんがそう尋ねたのを契機に、千歳君は自身の持つ異能について自ら語った。由良さんは思ったよりも反応が薄く、やはり境越祓所の所属員は不可思議なことに対する耐性が強いのだなと思った。  千歳君の話を聞き終わった後、由良さんは何事かを考えるように少しの間黙り込んだ。僕達も、いつもの夢と違うこと・明らかに人外の者と接触していることに暫し唖然としてしまった。笠の影から見えたという白い犬のような鼻先という特徴から、もしかしたら『ましろのおおかみ』――つまりは、山神なのかと推測できたくらいだ。  その人外の行列が、着物を裏返しに着た女を探しているという。その女とは、恐らく中村君が安易に行った儀式で現れたあの霊体だと思われる。千歳君もそう思って、答えたのだろう。  「分かりました。奥田千歳君、君もついて来てください」  結論が出たらしい由良さんは「では、山に行きましょうか。案内お願いします」と言って、中村君と千歳君に先導するように誘導した。  少し歩いて2人との距離が開いてきた頃、由良さんが小声で「鈴川さん」と僕に呼びかける。僕もそれに倣って「はい」と小さく返事をすると、由良さんは突拍子もない質問を投げかけてきた。  「奥田君は、本当に人間ですか?」  「え……?どういうことですか」  僕が思わず素の声量で問い返してしまうと、由良さんは隣を歩きながら横目でこちらに視線を寄越す。長い睫毛に縁どられた黒真珠のような瞳から、彼女の意図を汲み取ることはできなかった。  「鈴川さんがそう感じなかったのであれば、……いえ、大丈夫です。これはここだけの話にしておいてください」  由良さんはそう言って小さく笑うと、開いた距離を埋めるように足早に先頭の2人に追い付いた。  僕も歩きを速めながら、由良さんがあの2人を先に歩かせたのはさっきの内容を僕に聞くためかと推測した。 ●  山の麓に到着すると秋田県警のパトカーも数台停まっていた。関係者以外立ち入り禁止のテープで周囲は封鎖されていて、これは近づけないかと思ったが役場の職員の一人がこちらに気付き事情だけをかいつまんで説明してくれた。夏井氏は山頂に詰めているらしい。  曰く、山崩れといっても土砂が崩れたものではなく、まるで山頂のみが「割れた」かのような有様であったという。  山頂が無数の亀裂によって割れ砕け、中央部分から崩れてお椀状になってしまった。そして、なんとその地層の中からかなり古い白骨死体が出土したのだそうだ。警察が来る前にデジカメで撮影したものを見せてもらったところ、その白骨死体が着ていた着物――これもかなり劣化していて黄ばんでいるが、どう見ても裏地が表になっているのが見て取れた。つまり、着物を裏返しに着た状態のまま土中に埋められた白骨死体――例の、父に殺された神仕えの娘である可能性が高い。  「中村君が、あの…映像に映っていたのを女の霊だと感じたというのも…偶然じゃないのかもね…」  「じゃあ俺の直感が冴えわたっていたってことですね!」  冗談めかして言う中村君に対して、「そうかもしれませんね」と意外にも由良さんは肯定の意を示すと、「しかし困りましたね…山頂に行けないとは」と溜息を吐いた。  だが少し考えた後に顔を上げると、付近に何か残っていないか痕跡を探したいと提案をする。僕らは否を唱えるつもりもなく、全面的に彼女の動向に従う。  「由良さん、山頂にこだわってますね」  中村君は由良さんの意図が気になるようで、おずおずとしながらも本人に尋ねていた。  「ええ、かつてあそこに社があったのであれば、山頂は霊場として完成した土地であるはずです。霊場でなら、かなり古い事象についても霊視から分かる可能性が高いです」  「――霊視?」  由良さんの言葉に千歳君が疑問を返す。彼女は草むらを注意深く歩きながらも、千歳君に視線を向けると「超自然的な……そうですね、普段は見えないものを感じ取ることですよ」と簡単に説明をする。  そして「奥田君は、今までにそういう不思議なものを見たことはありませんか?」と千歳君に尋ねた。  千歳君はうーんと小さく唸って記憶を辿っていたが「そういうのは無かったかな。夢では変なものも見たし起こったけど、あれはただの夢だから」と苦笑いを浮かべる。  由良さんはかすかに目を細めると、千歳君から視線を外した。  「ただの夢、ですか」  千歳君は由良さんのその言葉を肯定するように小さく頷いたが、弾かれたように顔を上げると僕に視線を向けた。  「あ…でも、そっか。俺の夢は、普通の夢じゃないかもしれないんでしたっけ…」  「……そうだね…可能性としての話だけど」  由良さんの顔を窺うと、何の感情も汲み取れない静かな面であった。  「あ!由良さん、これ見てくださいよ。これ」  中村君の呼び掛けに、由良さんはこの話は終わったとばかりにこちらに小さく微笑むと、呼ばれたほうへ足を向ける。  「なにか見つかりましたか」  「いえ、石ころっぽいのは何も。でもこれ、この桜すごくないですか?ほら、ここ大きい空洞があるんですけど、こんなに花が咲いてて…樹齢かなりありそうなのに、現役なんですね~」  「空洞……もしかしたら…!」  由良さんは鞄から軍手を取り出して手にはめると、巨木の桜の根近くにぽっかりと空いた大穴の中に手を突っ込んだ。  「え…?」  由良さんを呼んだ当の中村君自身は、何をしているんだと言いたげに彼女の行動に困惑していた。僕は由良さんが「探し物」をしている間、中村君と千歳君に解説するように口を開く。  「この山頂にはかつて社があって、そこでは狼が信仰されていた。これは、千歳君のご両親の資料や由良さんの調べからも断定していいと思う。そこで、この社が建っていた年代だけど…少なくとも平安時代初期には既に信仰されていた記録がある。だから、古代の狼信仰なんだ。狼信仰には古代・中世と近世で少し意味合いが変わってきてね、近世には疫病が流行したこともあって、それで狼信仰が再燃した」  「病気と、狼って関係あるんですか?」  「うん。当時、その疫病は狐、狼、狸の漢字を繋げて書いて狐狼狸(ころり)と呼ばれていた。狐や狸に化かされたようにあっという間に死んでしまうから狐狸…狐や狸が原因とされ、その天敵であった狼を病魔退散の力があると信仰したんだ。でも、これが過熱してね…狼の頭蓋骨に病魔退散の力があるとして、山では多くの狼が狩られて、このときに一気に数が減ったというんだよ」  「それって…本末転倒ですよね。山から狼がいなくなったら、狐や狸の天敵もいなくなるっていうのに」  「そうだよね。ここから見ても、近世の人にとって狼は『獣』としての意味合いが強かったのだろうね。対して、古代は受け取り方が違っていてね…古代の人にとって、狼は『自然の意志』であったんだ。アニミズムから派生した山神信仰とも結びついて、狼はただの獣ではなく、自然や天意を表す存在として信仰されてきた。面白いものでね、海外では人を食べる狼は害獣として悪い神だとか、悪魔だとか象徴されることがあるんだけど、古代の日本では人を多く食べた狼はそれだけ計り知れない力がある存在だとして、…大口真神(おおくちのまがみ)という名で崇められていた。狼は悪人を罰する存在という位置づけで、狼に食べられる人間の方が悪いのだと思われていたのだろうね」  「鈴川さんの言葉通り、狼は山神信仰と深い関わりがあります。そして、昔の日本人にとって山神は『桜の木に宿る』と考えられていました。なので、石像や石積みなどが見られない場合、巨木や桜などを調べると、かつての山神信仰の名残が見られることもあります。古い縄が架けられてあったり…」  いつの間にか作業を終えたらしい由良さんが立ち上がり、こちらに手のひらを開いて見せた。  「洞の中に神像を祀ったり」  手のひらの上には、石でできた小さな狼の像が乗っていた。よく見ると、左足が欠けている。  「由良さん…これ…」  「はい、これが愚彗坊の神封じの方法だったのでしょう」  「例の元陰陽師のやつですか?」  中村君の問いに由良さんは首肯する。  「彼は神殺しではなく、神封じの専門家です。具体的にどうやるのかは分かりませんでしたが、この石像に触れて大体理解しました。これは陰陽道で使われる形代と、移し身の応用です」  由良さんはそう言って、僕達に見えやすいように神像を指でつまむようにして掲げる。  「これ、足が欠けているでしょう。不完全な形で神像を作り、そこに神の御霊を移すんです。御霊を移動させるのは割とポピュラーな儀式です。お寺で祀られている仏像を美術館で展示するときに仏の魂を抜くのですが、それの神様バージョンと思ってください。それで、魂をこの石像に移した後で元の社を完全に破壊した。不完全な神像に移したことで力が不完全に…そう、力を削がれた神を再度奉るという手順でしょうね」  由良さんは饒舌に語っていたが、一息つくと「ですが…この神像は空っぽですけどね」と結んだ。  「空っぽって、どういうことだい?」  「言葉の通りです。これはもうただの石の像、中に御霊はいません。そして、この桜の木も普通の桜の木ですね…神木ではないようです。だから……ここは社としては成立していませんし、愚彗坊ではない人物が桜の木の洞にこの像を置いたんでしょう。穴の奥のほうにちゃんと立てて安置されていましたから、おそらく獣の仕業とかではないと思いますよ」  「一体、誰が…何のために」  謎が増えてしまった。小さく肩を落とす僕に、由良さんは苦笑を返す。  「一つ分かるのは、この神像は初めからあの山頂にはなかった、ということです」  神像をジャケットのポケットに仕舞うと、由良さんは言葉を続けた。  「この像からは死者の穢れの残滓がありません。だから、例の白骨死体が出てきたあの山頂、あそこになかったことは確かでしょう」  「じゃあ、…ええと、愚彗坊は社を壊して山頂を更地にした。その後別の場所でこの神像を祀った。でも、それはこの桜の洞ではなかった。…どこかにあったその像を誰かがここまで移動させた…」  「そういうことになりますね」 ●  「もしかしたら、その移す前の社というのは、麓の林間のどこかにあったのかもしれません」  我々が夕方に帰宅した後すぐに夏井氏も戻られて、由良さんが新たに加わった夕食の席でのことだった。これまでに出てきた情報を繋ぎ合わせて、僕は仮説も交えながら夏井氏に現状報告をしていた。  あの山にはかつて社があり、狼神を信仰していたこと。そして古代に神職の娘が殺害され埋められた。あの地割れから出てきた白骨はおそらくその娘のものであること。  また、鎌倉時代辺りまでこの村では神隠しが起こっており、それを封じるために呪術師が神封じを行い、山頂以外の場所で新たに祀っていたが、その神像がいつの間にか他の場所に移動させられていたこと。石像を見つけたときには、既にそれは神像として機能しておらず、神の御霊はなかったということ。  そう話すと、夏井氏は神像が移される前のことについて思い当たる節があるようだった。  「まだ私が生まれる前、戦時中か戦後すぐのことだったそうなので、私も祖父から聞いた話なのですが…老髪山も含めてこの辺り一帯の山々は、昔はもっと裾野が広かったそうです。疎開した人がそのままこの土地に住むようになってから、土地を開拓するために山の麓を削って田畑を開いていったと…だからこの村はもっと山深い土地だったと、祖父世代がよく聞かせてくれましたね」  「ああ、なるほど…それで山を開く過程で社を移動させて、ついにはあの桜の洞に……」  「人の生活も大事だけど、それで社をぽんと移しちゃうのが…怖いもの知らずというか」  中村君が少し頬の端を引き攣らせて言うと、「生きるのに必死だったのでしょうね、あの頃は特に」と夏井氏が返す。  「戦後だったら…こちらの記録に残ってない理由も大体推し量れるね。ちょうど神祇院が廃止されて神社本庁への変遷時期だったから、社の手続きに関する届け出窓口が混乱して分からなかったんじゃないかな。それに、神像の場所を移すだけだと思ったから、小規模なことだしわざわざ国に報告しなくてもいいと思ったのかもしれないし…」  「それで東河寮も把握できていなかったのですね」  由良さんが納得したように小さく頷く。  ここから、僕は推論の域であることを話す。  恐らく神像から御霊が抜けたのは、あの桜の洞に移されたときだと考えられた。そのことによって、呪術師が封じたものが解けて再び神隠し――今回の、不審死が起こるようになった。最初の不審死とされるのが、戦後すぐに起こっていることも裏付けとなる。  この神隠しにはどんな背景があるのかと考えたが、千歳君が夢の中で遭遇した異形のものとの会話から推測して――もちろん千歳君の夢歩きについてはぼかして伝えたが――異形のものは恐らく狼神であり、その目的は山頂に埋められた娘の魂を回収することだということだ。  そしてその目的が果たされたことによって、地割れが起こり、隠されていた娘の遺体が露になった。  「でも、不審な死に目に遭った方は若いお嬢さんだけでなく、老若男女問わずですよ」  夏井氏が訝しそうに話すことも尤もだ。これについては由良さんが説明をした。  「魂は、肉体の年齢や性別に左右されません。その人間の本質に近い形で存在しています。夢枕に立った故人が、亡くなったときよりも若い姿であったという昔話を聞いたことはありませんか?それはその姿が、その人の本質に近いからですよ。だから、娘の魂に近いと思われるものを狼神は片っ端から連れ去っていたのでしょう…魂のない肉体は長く持ちません。これが、『眠るように死んでいた』原因かと思われます」  「そんな……」  悲壮な面持ちを浮かべた夏井氏と同じく、眉根を寄せた千歳君は重苦しい雰囲気のまま口を開く。  「その魂をさらっている神様って、今はその石の中にいなくて自由に動き回っているってことですよね」  「そのことですが」と、僕は言葉を続けた。  「恐らく、もうこの村で不審死は起きないはずです」  僕の言葉に、答えを求めるように夏井氏と千歳君が視線をこちらに向ける。  「まず、千歳君が言った『神様が自由に動き回れる』ということだけどね…神様は元々自身の領域内であれば自由に動き回れるんだ。そして狼神にとっての領域はこの村全域に及んでいた…でも村の外には出れない。これは、不審死が村外では起きていないことからも確信を得ています」  そう言って僕は机の上に両手で輪を作り、村の全体を表す。  「かつて、鎌倉時代までにも神隠しは起こっていた。それは、なぜか――あの山で無惨に殺された遺体が埋葬されたからです。父親である神官は神の供物として奉納したそうだけれど……正しく祀られた神に死んだ人間の供物は不要、むしろ死が穢れとなる…当時の神官がそれを知らなかったのか、もしくは逆上して冷静な判断ができなかったのかは分からないけど……遺体を山神に奉納してはいけなかったんですよ。神様は穢れを嫌いますからね」  「それで、神様が怒って神隠しをされたのですか…」  夏井氏の言葉に、僕は首を横に振って否定する。  「神様の事情は僕には分かり得ないですが、少なくとも鎌倉時代に封じられる前には、狼神は神様として完全な力を持っていたはずです。だから、もし人間に天罰を下すつもりであったのであれば『魂だけ回収する』なんて手間のかかる…かつ、天罰だと分かりにくいことはしません。狼神の天罰であるなら、それは大口真神の名の由来ともなったように――人を喰い殺せばいいのです。でも死因は獣に喰われたとは書かれておらず、当時の史料には不審死であることが書かれていました。だから状況は今回と同じと見ていいでしょう。では、この神の目的はなにか。…僕はさっき、亡くなった娘の魂を回収することだと推測しましたが…これには理由があるんです」    僕は一息ついてお茶を口に含むと、話を続けた。  「葬儀、というのは魂をあの世へ送る儀式です。大切なのは『魂の存在』であり、死んだ肉体をどう扱うかは時代や文化、国によって様々です。ですが、山頂の遺体には魂がなかった。なぜなら、夢渡りをしている途中で殺されたからです。魂は夢路を彷徨って、遺体に戻れていない。だから狼神は、魂を回収して黄泉へ送らないと意味がない…、今回のように地割れを起こして遺体だけ掘り起こして人間に見つけさせても――正しい葬儀にはならないと分かっていた」  「そこから、神様の、夢路で迷子になった魂探しが始まるんですね」  中村君が分かりやすいように補助をしてくれた後、由良さんも説明を手伝ってくれた。  「さっき魂は肉体の条件に左右されないと言いましたが、狼神はそれでも何かしらの気配を辿って魂を回収していたはずです。娘と気配の近い魂を片っ端から連れ去っていた、けれど…『無差別』ではなかったはずです」  「…といいますと……」  「村長さん、俺達に佐藤さんを紹介してくれましたよね。あの方のお友達が小さい時に亡くなったって…その時のノートなども」  「ええ、はい」  「あれがヒントになったんです」  中村君は話を続ける。  「夢で見た人を家の中でも見た…といった内容が書かれていたのを覚えていますか」  「…はい、そうでしたね」  「夢での出来事が現実で起こることを『正夢』と言うんですが…、例の佐藤さんのお友達は夢の中で娘の霊に遭遇し、それを『正夢』という形で現実世界に干渉させてしまった。実は俺達、山の上で娘の霊らしきものを見てしまったんです。だから、もうこの時点で娘の魂は夢路以外にも彷徨うようになっていたと思います。――話ちょっとずれちゃいましたね。要は、不審死された人達は…夢の中で娘の魂と遭遇した人達…もしくはもう一段階上の、『正夢』にしてしまった人達かもしれません。そうやって、娘の魂と干渉したことで縁ができてしまったから、娘の魂に近しい判定をくらって狼神に魂を回収された、と考えられます」  中村君が話し終えるとその場には少しの間、沈黙が下りた。  それを破ったのは、由良さんの澄んだ声だった。  「中村さんは脱線したと言いましたが、彼が山で娘の霊を見たのは偶然ではないのです。彼は夢で娘の魂と遭遇したのではなく、…夏井さん、あなたの娘さん夫婦が遺された資料にあった儀式を実行したんですよ」  「あー……言っちゃうんですね~…」と中村君が気まずそうに小さく呟く。それを無視して、由良さんは言葉を続ける。  「書かれていた儀式、私も手順を読みましたが…とても原初的な霊との交信方法なんですよ。交信――つまり、中村君はあの場に、山頂に娘の霊を呼び出したんです。そして…ええと、詳細は省きますが…山頂に娘の魂が戻ったことを狼神も知ることになった。回収は早かったでしょう。社は潰されたとはいえ、山頂はかつての領域の中心地なのですから。娘の魂を無事回収して、遺体に戻したか…あるいはそのまま黄泉に送ったか…私は実際に掘り起こされた白骨を見ていないので分かりませんが、成仏できる形になったからこそ、穢れた遺体をいつまでも置いておくわけにはいかず、狼神は地割れを起こして人間に発見させた。ですが、私が気になっているのは、どうしてあんな原初的な交信方法を夏井さんのお嬢様がご存じだったのかということなんです。誰かに教わったと書いていましたが、誰から教わったのでしょう」  儀式について確認したいと由良さんが言ったので、僕達は借りていたノートを見せた。ノートを目にした由良さんは、これが千歳君の両親のどちらが書いたものかを明らかにしたいようだったので、千歳君にも確認してもらったところ、筆跡からあの儀式の部分はお母さんが書いたものだということが分かった。  由良さんからは、半ば問い詰めるような雰囲気が滲んでおり、僕は小さく「由良さん」と声をかける。由良さんは前のめりになっていた姿勢を戻し、「すみません。気になったもので…」と冷静さを取り戻した。  夏井氏は昔のことを思い出すように視線を遠くに向けると、一度目を瞑って開いた。  「娘は、昔はとても怖がりな子でした。小さい頃は妻と三人、川の字に布団を並べて寝ていたのですが、よく怖い夢を見たと言って飛び起きていました」  その言葉に、千歳君の視線が微かに揺らぐのが見えた。  「でも、悟君…娘の結婚相手と出会ってから、歴史とか古い出来事とかに興味を持ち始めて、それまで物陰などにも怯えていた様子だったのに、そういうもなくなって…それまでよりずっと明るくなったんです。だから、―――いえ、それが私の知るあの子の全てです」  夏井氏の言葉に、由良さんは彼の顔と千歳君の顔を順に見つめ、小さく頭を下げた。  「分かりました。立ち入ったことを聞いてしまい、申し訳ありません。お話いただきありがとうございます」 ●  それからひとまず呪いの原因を解明したということで、今後について僕と夏井氏は話し合った。  千歳君はお風呂に入り、由良さんと中村君はそれぞれ報告書をまとめるというので用意された客間に移動した。  居間に残った僕は、夏井氏からある依頼を受けたのだ。  それは、狼神をきちんと神像に戻し改めて祀ることは可能か、ということであった。  神体への魂入れや社の再建は東河寮の本分であるため、その要望を叶えるのはそう難しいことではない。だけれど、これまでの神にまつわる歴史を伝えた後で、まさかそのような提案が出るとは思わず、僕はその理由を尋ねたのだった。  「元は、人間側の勝手な都合によって社を汚されたり、封じられたり、移動させられたりしたのでしょう…その狼の神様は」  「そう…ですね」  「なのに、村に祟りは起きなかった。もちろん、村人がこれまでに死んでいったことを思うと、その…純粋に敬う気持ちにもなれないのですが」  「それは、……仕方ないことかと」  神意など人間の理解の範囲に及ばない。また、人間にとって100パーセント都合の良い神様なんているはずもない。恵みの雨が、一歩違えば天災になるのと同じだ。  「でも、ずっと…呪いだと思っていました。神様とか怨霊とか土地の呪いとか、なにかそういう得体の知れないものを、私はずっと恐れていたんです。それは、過去にこの村で何があったのか、私が知らなかったのも関係あると思います。娘夫婦はそれを調べようとしていた。そして、その半ばで2人とも亡くなってしまった。だから、私はそれを形に残さないといけないと思うのです。父親として、村長として。この村には、八幡の神様の他にも古くからの神様がいることを。きちんと、社を建てて。それが歴史を伝えていくことにつながると思いますし、今後また何か問題が起きたときの、道しるべになると思うんです」  そう言って、夏井氏は憑き物が落ちたかのようなすっきりとした笑顔を浮かべた。 ●  惣領八幡神社との位置を考えても、老髪山の山頂に社を再建するのは問題なかった。方角を改めて確認すると、鬼門を封じるように聳える老髪山に対して、惣領八幡神社はその対角側の裏鬼門を守る位置付けになっていた。もしかたら、この差配も愚彗坊によるものなのかもしれない。  その日の深夜、報告内容をまとめ終えた由良さんが僕達の部屋を訪ねてきた。中村君は先に爆睡してしまっていたが、由良さんは僕に話があったようで、少し外で話さないかと誘われたのだ。  「それで、どうしたの。あの家の中だとまずい話なのかい?」  「ええ、そうです」  そう答えて、由良さんは夏井氏の家から少し歩いた外灯の下で立ち止まった。  「奥田君は、半分怪異ですよ」  「……え!?」  由良さんの言葉がすぐに呑み込めず、僕は素っ頓狂な声を上げてしまった。  「いやいや、千歳君は人間でしょ。ご両親だって…」  「奥田君のお母様が夏井さんの血縁者ですよね。では、お父様は?聞きましたか」  「いや、それは…」  「まあどういう経緯で彼が”ああいう感じ”になったかは、重要ではありません。でも、あの子はもう知ってしまいましたよ。自分が夢ではなく異界を歩いているってこと」  問い詰めるような真っ直ぐな視線に射貫かれて、僕は口ごもる。  「怪異は、それを認識すればするほど存在を増します。それまで普通の人間と同じように振る舞えていたかもしれませんが…その内、綻びが出るかもしれませんよ、あの子」  由良さんは続けた。  「奥田君のご両親のノートを読んで、不審に思いませんでしたか?あまりにも過去のことをリアルに書いている。まるで見てきたような内容もありましたよ。史書にも無いような過去の出来事を、どうしてあんなに詳細に書けたんでしょうね」  「由良さん、君は千歳君のお父さんが怪異だって言いたいのかい?」  「憶測にすぎません。だから、…ここだけの話にしているんです」  「――分かった。それで、どういう怪異かも見当がついているんだね」  由良さんの顔色を見て尋ねると、彼女は肯定した。  「夢の世界が異界化することは、普通の人間でも起こり得ます。ただ、奥田君のお母様の書かれた内容……食べていいものとそうでないもの、この注意書きが引っ掛かりました。夢の中で飲み食いする怪異で代表的なのは――『獏』です」  「…ばく……」  僕はまだ理解が追い付かず、彼女の言葉をただ繰り返すことしかできなかった。  春とはいえ、夜になるとこの地はまだ寒い。由良さんが大きく息を吐くと白い靄が空気に混じって溶けた。その白い息があの葬儀で見上げた煙を思い起こさせて、僕は空を仰ぎ見た。地元の夜空にはない、散りばめられたような星空が頭上に広がっている。  「私の父は、眠っている間に怪異の呪いを受けて死にました」  「………」  もちろん知っている。まだほんの2週間程しか経っていない。彼が――境越祓所の長官が亡くなってから、僕は、眠っている間の人があまりにも脆弱な存在であることを思い知らされた。心身を磨き上げて、長く続く怪異祓いの家系で育った由良志郎さんでも、意識外の出来事には対処ができなかったのだという。  「夢の中で、神霊と対峙して…なんの影響も受けない人もいるんですね…」  由良さんの声は、かすかに水気を含んでいた。  「…人だって、言うんだね。千歳君を」  「半分です。あの子は、半分怪異で、でもその半分はちゃんと人間です」  恐らく、千歳君の同行を許したのは彼の性質を見極めたかったのもあるのだろう。そうでなければ、怪異と只人との境界を大切にしている由良さんが、普通の子を巻き込むはずがないのだ。あの時点で、僕はもっとその意味を考えるべきだった。  「由良さんは…怪異が、憎い?」  それは、あの葬儀では聞けず、でも聞いてみたかったことであった。境越祓所の人間には、過度に怪異を憎んでいる者も多いと聞く。これまで仕事柄関わる人達からは、そんな言動を感じなかったが、こうして実の父親が怪異の影響で死んだことを、彼女はどう思っているのだろうか。  今回の事件を調べていくことで、眠っているときに亡くなった者の魂の行方についてひどく考えさせられた。あのとき、由良長官の魂はどこに在ったのだろうか。そのことを想うと、やるせない気持ちが湧きおこる。  だけど、由良さんは僕の問いに小さく噴き出すように笑うと、こちらに顔を向けた。目元が微かに赤かったが、僕はそれに気付かない振りをした。  「鈴川さんの言葉だと、親を通り魔に殺されたからといって、人間全般を憎むのかっていうのと同じ理論ですよ」  「そ…う、かなぁ…」  由良さんの自論に、僕は意表を突かれる。  「父を殺した怪異に思うところはありますけど…怪異といっても、本当に色々じゃないですか。それに、私達の一族はこっちの世界に自分から足を踏み込んでいるんです。戦場のど真ん中に自分の意志で突っ込んでいって、それで敵の銃弾に当たって死んだって……それで、何を恨めって言うんですか。そんなの…父の生き様に対して、泥を塗る行為ですよ」  由良さんはそう言って、夜空を見上げた。  「『憎しみで心を乱し、濁すと、人でも容易に怪異になり得る。だから、心を静かに保て』私は、父からそう教わって生きてきました。これからも、そうです」    「そっか……」  そう答えて、僕も夜空を見上げた。  由良さんの瞳から雫が落ちるのを見ないように。  「お父さんのこと…」  お悔やみ申し上げる、と言いかけて僕は一度口を閉ざした。  「立派な方だと思うよ」  「はい。……ありがとうございます」 ●  それから1年後――岩手での調査を終えた僕と中村君は、秋田まで足を延ばすと再建されたという狼を祀った惣台神社に参拝し、夏井氏のところへ挨拶に寄った。  「え!千歳君、盛岡の高校に行ったんですか!?」  「そうなんです。寮住まいなので安心していますが」  「へえ…しかし、寂しくなりますね」  「はは、それはもちろん。でも…あの子には村の外の、もっと広い世界を見てほしいと思っていましたから」  村の様子も見て回ったが問題はなさそうだった。  それから僕達は岩手で宿代わりとしていた八百白館の佐々木長官の自宅に戻ると、再度仰天する羽目になった。  なんと、佐々木長官の自宅の客間に、千歳君がいたのである。  あれから随分身長も伸びて、顔立ちもやや大人びているが、紛れもない去年の調査でお世話になった彼であった。  「ち、…千歳君!?どうしてここに」  「わー…、大きくなったねー」  革張りのソファから立ち上がると、学生服の千歳君は礼儀正しくお辞儀をした。  「お久しぶりです!またお二人に会えて嬉しいです」  向かいに座っていた佐々木長官は優雅な仕草で立ち上がると、そこに座るように僕達に勧め、自身は一人掛けのソファに移動した。  「彼の学校で怪奇現象が起きたのですよ。調査は終えましたが、その後のお話を聞いていました」  ふふ、と笑って佐々木長官はそう答えると、こちらに意味深な視線を向ける。  なんだか嫌な予感がする。大体、彼の学校で何か起こったとして、どうして千歳君だけがここに呼ばれているんだ。八百白館ではなく。  「実は、うちの柴咲さんが現地で調査をしてきたのですがね…そのときに、奥田さんに相談を受けたんですよ。――怪異観測機関に入るには、どうしたらいいのかって」  「ええ!?…なんでそんな道を誤るようなことを!!」  思わず僕が正直過ぎる感想を叫ぶと、佐々木長官に「こらこら」と窘められた。  「あの……実は、…すみません!俺、あのとき鈴川さんと由良さんの話聞いちゃって…」  「話?………はなしって……」  最初は何のことかと思ったが、記憶を辿るにつれて僕は頭から血の気が引くのを感じた。  あの会話を聞かれていたのか。どうしてだ、人の気配には重々気をつけていたはずなのに。  「あの、田舎の夜ってすごい静かなんで……俺の部屋、角部屋ですし」  つまり、外での話し声も聞こえていたらしい。  「大反省ですね」と佐々木長官が笑顔で言うのに対し、僕は顔を両手で覆って「申し訳ありません…」と詫びる以外できなかった。  「いえ、それはいいんです。俺も、なんとなくしっくりこないことが、お二人の話を聞いてから腑に落ちることもあって、スッキリしたので」  「ううん、本当、ごめん…」  「ほんとうっかりさんですねー」  「中村君は黙って」  「はいはい」  「色々とご両親や、ご自身のことについて考えていたそうですよ。そこに、再び怪異観測機関の人間と関わることが起きたので、なにか運命を感じたのだと」  佐々木長官は千歳君の事情を聞き、大枠を察したそうだ。そこで、この機関に入りたいという千歳君に対し、長官が提案した条件は3つだった。  まずは、自分の進路について家族である祖父ときちんと話し合うこと。  そして、理解が得られたのであれば、在学中の間は、佐々木長官を始めとした岩手の八百白館の所属員が中心となって、怪異に関する知識を教えていくというらしい。  その上で、この世界でやっていけるかどうかを自分で見極めて、高校を卒業をしてから改めて決めれば良いというのが、佐々木長官の出した条件だった。  千歳君もその条件を受け入れたという。どうか在学中に思い直してほしい、そう心から願った。  寮の門限がある千歳君を見送り、僕は改めて佐々木長官に向き合った。  「いいんですか、本当に」  「どのみち、彼は自分の能力について、体質について、悩むようになるでしょう。何が危険で何がそうでないか、対処法などは知っておいたほうが良いでしょう」  「それは…そうかもしれませんが」  「最終的に決めるのは彼自身ですよ」  「それを言われては…でも危険ですし」  「私は、もう由良長官のような人を見送るのは嫌なんですよ」  それを聞いて、僕は一瞬目の前が真っ白になった。眼前で優雅に微笑む老婦人を、血の通った人間とは思えずに、「正気ですか…」と震える声で尋ねる。  「私は正気ですよ。あなたの中でどう狂気に見えようとも」  「え、なに?なんですか、この空気」  戸惑っていてもどこか口調が軽い中村君に、僕は佐々木長官の意図を要約して伝える。  「この方はね、将来的に千歳君を境越祓所の長官に据えたいんだよ」  「え!?…なんで…ですか?」  「夢の中で自我が保てて、怪異とも対話ができるのであれば、それだけ生存率が上がるからです。また、由良さんの推測が正しく、彼が獏に類する怪異だとするならば、夢の異界こそ、彼のフィールドです」  「え、それって、千歳君をあの魔窟のトップに据えて人柱にするってことですか?」  普段であれば中村君の行き過ぎた言葉を注意するのだが、どうしてもこの時はそんな気分になれなかった。  佐々木長官はあくまでも冷静であった。  「これは、千歳君にもお伝えしましたよ。うちの機関に入るとは、そういう可能性も出てくることだと」  「あの子は、なんて…」  「『言われている意味がよく分からないから、それが分かるようになったら改めて返事をするというのでも良いですか』…と」  佐々木長官はそこまで言うと、震えはじめた口端を着物の袖で隠した。僕も思わず先程までの怒りを忘れて、笑いそうになるのを堪える。  「なにそれっ…、千歳君、大物になるわー」と、中村君だけが場を憚らずに笑い出した。  「いやぁ…俺は、あそこの人間って危険思想な奴らもいるから、怪異混じりの千歳君がいじめられないかなーってことが気になってたんだけど、なんか、大丈夫じゃないっすか」  中村君は笑いを収めながら、そう締め括った。 ●  それからの詳しい経緯は、あまり僕の耳には届いてこなかった。  ただ、問題なく過ごしているというのは佐々木長官から度々聞いていた。  あれから3年経ち、僕は数々の抵抗もむなしく東河寮長官の座を先代から譲られ、同年に境越祓所の長官となった奥田千歳君と再会することとなる。  この時になってようやく、ここに至るまでのことを本人から聞いた。  千歳君が境越祓所に入ったのはまだ卒業前のことだったが、由良さんが彼の身を案じて当初は進路を考えるように訴えかけていたそうだ。だが、どういう経緯があったのか、その後は彼が長官として立ち回りやすいように部署内を整えたという。  怪異への過激派が最も多く所属する境越祓所、その長官が怪異の混じり者であるというこれまでに例のない就任だった。  本当に、この世は僕の想像を超えることばかり起こる。  怪異に関わるようになってからは、特にそれが顕著だ。  私こと、鈴川森繁は私立熊滝大学に勤める大学教授だ。昔は生徒達と妖怪について楽しく研究を深める日々だったが、今では1年の4分の1くらいは学会で妖怪みたいなジジイ達と妖怪について論争している。  『ここに入れば更に詳しい怪異に関する資料を読むことができる』という、探究心をくすぐるような先代長官の甘言に乗せられ怪異観測機関に籍を置いていると、いつの間にか長官に就任する羽目になってしまった。  数年前と違い、最近の僕は「夢と怪異の関係性」についての研究に没頭するようになった。僕の軽はずみな行動で、未成年が非常識な世界に足を突っ込んでしまった責任を感じている。僕の研究が少しでも彼の役に立てばいいと思うのと同時に、根っからの研究者気質ゆえに、この探究に面白さも見出している。  それでもおばけってやつは、今でも苦手だ。

秋田、夢の通い路<episode 5>終幕

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