昴の数歩後ろを歩いていた千歳は、途中で会話が途切れたことで初めて彼とはぐれてしまったことに気付いた。不自然なものがないか周囲に視線を向けたり、足元に注意を向けたりしていたのでずっと昴の背を追っていたわけではないが、さほど離れていない距離で人ひとりを見失ったことに、千歳は当惑し、少しの間その場に立ち尽くしてしまっていた。だが、先日この場所で肝試しをした学生達が同様に行方不明になったことに思い至り、それが自分達の身にも起こったのだと、努めて冷静になろうとした。 手に持っていたカメラの録画を止めて巻き戻してみるも、昴の姿を映していなかったので、彼がいついなくなったのかは正確に掴めなかった。 GPSアプリを立ち上げると、自身の場所と昴のいる場所がマップ上に表示されている。位置から、昴はここよりさらに奥に進んだ北東にいるようだった。この場所から走って移動しても距離がある。どうやら空間の裂け目に入ってしまったのは、昴のようだと千歳は考えた。 ――とりあえず、北東に向かってみよう。 目測で方角を確認し、携帯端末をポケットに仕舞うと千歳は北東へと歩を進めた。 奥に進むにつれて木が横倒しになって道を塞いでいたり、枯れた竹林が密集していたりと悪路に足を取られながらも、千歳は定めた方角から逸れないように注意深く歩く。しばらくは録画を続けていたが、やがて片手が塞がっていると邪魔だと思い鞄に仕舞い込んだ。 竹林の間を抜けると、ふいに空間が開けた。 その瞬間、千歳は胃から不快なものがせり上がってくる感覚を得て、反射的に口元を手で押さえた。実際に嘔吐感がないことを確認すると、ゆっくりと上体を起こして目の前の光景を視界に入れる。 正面に、荒れ果てた社が存在していた。その荒み方は、雨風に晒されて傷んだとか、時の流れによる劣化とはどこか違う、人の手によって破壊された――明確に、形あるものを壊そうとした跡が残っていた。 倒壊した白木の鳥居は、根本に斧のような太い刃で何度も削られたような跡がある。社の扉は全て外されていて、建物の脇に重ねて捨てられていたが枠に嵌まっていたガラスは全て粉々に破られている。壁にも無数の切り傷があったが、ある程度の強度があったのか完全には崩れておらずかろうじて壁としての形を保っていた。 言葉にできない居心地の悪さを感じながらも、千歳はこの状態からなにか村の異変の手掛かりが残っていないか探そうと試みる。 GPSで再度確認すると、昴はこの近くにいるようで先程から全く移動していないようだった。そもそも、昴の居場所を指す位置が本当にこの時空で合っているのかも定かではない。千歳は、昴がいるであろうほうに視線を向けたが、そこには朽ちた社の背後にそびえ立つ高い岩壁しか見えない。この岩肌を登ってさらに山奥にいる……というのは、どう考えてもあり得ないと思ったのだ。 ――ここの空気の悪さは異常だ……なにかあるとしたら、ここのはず。 この場所に来るまでの獣道すらない道中を考えれば、今回の大学生失踪の際に警察はここまで立ち入っていないのだろうと考えられた。かつての村人失踪事件の際にどうだったかまでは分からない。もしかすると、村を知る手掛かりとなるようなものは何も残されていないかもしれない。 そのようなことを考えながら歩いていると、ふいになにかに足先を引っ掛け、前のめりに転んで両手両膝をついてしまった。 千歳は、このときばかりは昴とはぐれていて良かったと心から思った。 ――うわー! 恥ずかしい! こんな小学生みたいな転び方することってある!? 誰にも見られなくて良かったあ……。 ひとしきり心の内で悶絶した後、立ち上がって自分がなにに躓いたのかを確認する。足元に視線を向けると、落ち葉の中から拳大の石像が頭を出しているのが見えた。 ――もしかして、これが蛇神信仰の痕跡か? 落ち葉のカスや土を払ってよく観察してみると、それはどう見ても蛇ではなく獣を模した石像のようだった。 ――犬? 狼? もしくは、狐……? 小さな三角の耳は風化によって丸みを帯びているが、千歳が連想したような動物の特徴はしっかりと残っている。 ――もしかして、この社は蛇神のものじゃないのかもしれない。 そう思ったとき、なぜか、それがとても「厭なもの」に思えて、千歳は意識が遠のきそうな眩暈を感じた。頭を小さく振り、意識を保とうとしたときにふと気付く。今感じている身体の異変が、場に当てられて気分が悪くなったというものではなく、急激な眠気から来ているということに。 ――こんな場所で、意識を手放すのは嫌なんだけど……。 しかし、自分の本質が獏であるというのなら、人としての生理現象とはまた違う唐突な眠気には理由がある。そういう場合において、千歳は親から受け継いだであろう本能のような感覚を信じることにしている。 僅かに逡巡した後、意識を手放した千歳は柔らかい落ち葉の上に倒れ込んだ。 ● 千歳が夢異界で“目を覚ます”と、時代劇に出てくるような町に立っていた。土を均した広い道の両脇には商店が並び、店前には着物姿の呼び込みが道行く人達に声を掛けている。だが、呼び込みの者達も、道行く人達も、みな顔と呼べるものがなく、のっぺらぼうのようなつるりとした面(おもて)をしていた。 「さあさあ、試しにやってみて」 「ご利益あるよ」 「さあさあ、試しにやってみて」 「ご利益あるよ」 呼び込みの話す言葉に耳を傾けると、声のトーンも話す内容も一定で、まるでそのように録音設定されたロボットのように思えた。 とりあえず道が続いている先へ進むことにし、左右に展開されている店を歩きながら観察する。どの店も一様に似たような二階建ての造りになっており、大きな看板が一階の瓦屋根に掲げられている。書体に差はあるものの、どの店も「お稲荷様」と彫られていた。店先には赤色ののぼりが立てかけられ、「豊作祈願」や「商売繁盛」といった白い文字が布いっぱいに書かれている。 ――稲荷信仰? でも、この村にそんな信仰があった記録は……。 千歳は内心で首を傾げながらも、作り物めいた通りを歩いて行く。すると、町の様子が少し変わったのに気付いた。同じように店は日本家屋の造りだが、着物を着ていたり洋服を着ていたりと人の服装が変化している。時代が少し先に進んだように思えた。 よくよく店を見てみると、看板に彫られた名前は「屋敷まわり様」とあり、のぼりの色は緑に、白い文字は「降雨祈願」「豊作祈願」と変化している。どう見ても蛇神信仰を表したものであり、ふと気になって先程歩いてきた道を振り返ってみると、数歩後ろはゴーストタウンのように人が消え失せ、全ての扉が閉められた店は朽ちているように見えた。 ”捨てられた”のだと、直感的に感じた。 ――この空間は、なんだかすごく気持ち悪い。 千歳は場に漂う空気ではなく、見せられている光景に対して言いようのない怖気を感じていた。 自然と足早になり、また左右の光景が変化したのに気付く。建物はトタン造りに変わり、薄い金属板の看板には「獏王様」と書かれていた。 その文字を目にし、千歳は足を止める。 「ばく……」 あまり見かけることはないが、日本の寺社の境内で獏王像といって獏の像が祀られていることがある。 千歳は恐る恐る背後を振り返った。どこか作り物めいた賑やかさではあったものの、先程まで栄えていた町並みがまた打ち捨てられたように寂れているのが見える。 つまり、蛇神信仰を捨てた後に獏への信仰を掲げたのだ。恐らく、今見ているこの光景は遠路地村の信仰の歴史なのだろう。 黒いのぼりが風も無いのにはためき、「吉祥如意」「悪夢退散」という文字が視界に飛び込む。 ――この村は、時代の情勢に合わせて、信仰対象を変えてきたんだ。 千歳は、社の地面に半分以上埋まっていた獣型の石像を思い出す。あれは稲荷信仰の名残、狐の像だったのだろう。 元の信仰の跡を隠し、さも昔からずっとそうだったかのように今の神を信じて疑わない。 ふと、遠路地村に来る前に、この村がなんと呼ばれているか昴が言っていたことを思い出した。 『神隠しの村』 神隠しの村とはよく言ったものだと、千歳は顔を歪めた。神を隠してきたのは、ほかならぬ遠路地村の人達だったのだ。 <episode 5に続く>