伊予国の南に、オシオリサマという風習がある。 峠を挟んだ二つの部落を一本の道が繋いでいる場合、各部落にはオシオリサマと呼ばれる地蔵が一尊置かれていることが多い。 道行く人々は、部落に入る前にオシオリサマに柴を折って供えると、不思議と足の疲れが取れるという。 この風習から、オシオリサマは柴折り様、または足軽る様とも呼ばれる。旅人に親しまれるお地蔵様だが、村人たちにとっては悪魔外道を村内に入れないためのまじないの意味もあった。 土佐の松後村に嫁いだ"お美津"は、親戚の法事があるため、息子を連れて里帰りをすることにした。親戚の家は二つの山を越えて隣り合っているためそう遠くはないが、山々を越える道のりは女子供にはいささか堪えた。 山路で自分たちと同じような旅人と出会い、関所まで共に行く流れになった。山道では、人が多い方が安全である。 旅人は初老の男と若い娘の二人連れで、二人は親子だという。娘が幼い頃に若くして妻を亡くした男は、男手一人で娘を育て上げた。その娘がこのたび、めでたく祝言を挙げることになり、妻の墓がある菩提寺に報告に参るのだと、感慨深げに身の上話をしてくれた。幼い娘を残して黄泉路へと行った母の心中はいかばかりかと、お美津は胸を痛めながら父娘の話に耳を傾けていた。 お互いの身の上を話すうちに、お美津たち母子とこの父娘はすっかり打ち解けていた。 一つ山を越え関所を抜けると、伊予に無事入ることができた。関所の役人が勧めてくれた西城村の宿屋に向かうと、道の端に地蔵が一尊佇んでいる。この近くで生まれ育ったお美津には、懐かしい姿であった。 「これはなんですか?」 娘が尋ねるのは、地蔵の足元に供えられた小枝のことだろう。お美津はオシオリサマの習わしを話し、山で何本か拾っておいた柴をこの父娘にも手渡した。 「こうして枝を折ってお供えすると、足の疲れが取れるのよ」 「おじぞうさま、えらいねぇ」 お美津の子は感心したような声を上げ、地蔵の頭を幾度も撫でる。お美津たちに倣って、父娘も同じように柴を折って供えた。 地蔵に手を合わせ終えた父が立ち上がったとき。 パキンと、乾いた音がした。 柴を折ったような音に、お美津が息子から目を離して音のしたほうを見遣ると、父と娘が片足を抱えて蹲っている。 どうしたのかと声を掛けると、うめいていた二人の脚がみるみる赤黒く変色し、脚をさすっていた手にはびっしりとした黒い毛が覆い始めた。 「こりゃあ、だめだ」 「だめだ、だめだ」 「してやられたわい」 通りの良かった父娘の声は、ガラガラとしゃがれて耳障りな音へと変わっていく。 二人の変わりゆく様を目の当たりにしたお美津は、声も出せずに驚いたが、無意識に息子を背の向こうに隠すように守った。 そうこうしているうちに、父娘だった毛むくじゃらのなにかは、片足立ちで跳ねるようにして、ぎゃあぎゃあと叫びながら峠のほうに去ってしまった。 しばらくは静寂のなか立ちつくしていたお美津だったが、空気を裂くように泣き始めた息子の声にハッと我に返った。 息子を抱えてあやしながら、村に入って宿屋の場所を尋ねた。未だ泣き続ける子の事情を聞かれ、にわかには信じがたいがと、先程起こったことを案内の村人にありのまま話す。 「ああ、そりゃ山の怪よ」 「やまのけ……?」 「峠を越える道から、ときたま良くないものが村に入ってくることがあると、じいさんから聞いたことがある。そういう悪いものから、オシオリサマが守ってくれとるんよ」 それゆえに、オシオリサマは必ず村の入り口に置かれるそうな。 伊予の国オシオリサマの事