レンタカーを最寄りの駐車場に停め、千歳と昴はかつて遠路地村と呼ばれていた場所へと足を踏み入れる。 「思ったより歩きやすいですね。もっと鬱蒼とした感じかと思ってました」 敷き積もった枯葉の上を歩きながら、千歳はカメラを回す。経験年数からいっても、なにかあったときにすぐに動けるように、昴の手が空いているほうがいいだろうという互いの共通の判断の下、千歳が記録を担当している。 「でしょう。まあ、それだけここに頻繁に来る奴がいるってことでしょうけど」 時刻は午後2時半過ぎ。京都駅から新幹線と電車を乗り継いで、現地で借りたレンタカーを使ってこの時刻に到着した。前回昴が来たときは、行方不明者の捜索が第一目的だったため、村内をゆっくり観察する余裕はなかった。明るい内に見ておけるものは見ておきたいと昴が言い、千歳も賛同した。観察というのはもちろん、千歳が見た夢とこの廃村に共通点があるかどうかだ。 まだ日が出ている時間帯とはいえ、ほとんどが木々に覆われているために全体的に薄暗い。 「どうです? 見覚えがあります?」 昴の問いに、千歳は小さく首をかしげて「まだピンときませんね……」と答える。 そうですか、と返して昴は千歳の話していた内容を振り返る。 ――確か、坂道を登った先に大きな屋敷があったと言っていたわね。 しかし、昴は前回そのような大きな建物を見た覚えがない。もうとっくに朽ちて形も残っていないのか、それともまだ行っていない奥にあるのか。 「あ、お地蔵様」 千歳がカメラを向ける先に、六体の地蔵尊が横一列に置かれている。前回も見たものだった。 「供養のために地蔵を置いて祀ってるそうですよ。ほら、ここに説明の立て札が」 昴が指す先には立て札がある。だがそれは史跡にあるような立派な木の板ではなく、ラミネート加工されたA4用紙が長い木の棒に貼り付けられている簡素なものだった。印字された文字がくっきりとしていることや、ラミネートの傷み具合から十年以上経ったものではなさそうだ。 “ここにはかつて住民の墓地がありましたが、平成28年の土砂災害により土の中に埋まってしまいました。有志により、再び村民の魂を供養するためにお地蔵様を祀っています。 村に入る前は、一度お地蔵さまに手を合わせてください。” 千歳は書かれてある内容を読むと「なんか、おかしくないです?」と小さな声で呟いた。千歳の言葉に、昴は書かれてある文章と地蔵を交互に見る。 地蔵は、ほぼ同じ大きさで作られている。経年劣化によるものか、顔の造詣が削れて平べったい。頭部が緑がかっているのは苔によるものだろう。元は赤かったであろう前掛けは、色褪せて濃いピンク色のようになっている。 「……普通の地蔵のようですが」 「いや、そういうんじゃなくて……なんだろう、こう、ちぐはぐな感じがするんですよね」 「ちぐはぐ……」 復唱した昴は地蔵をまじまじと見つめていたが、ふと違和感の正体に思い当たり「あ!」と声を上げた。 「この立て札はまだそう古い感じがしないのに、地蔵だけ……やけに古めかしくないですか!?」 「そうか! それです!」 千歳が言うには、地蔵はかなり昔からあるような状態なのに、地蔵についての説明には最近ここに置いたと書かれてあったため、違和感を覚えたようだ。 「どこかから移動させたんでしょうか……」 「確かに、新たに像を作ったといった文言はないけれど……。普通はどこから持ってきたとか書くはずなんですがねえ」 考えていてもこれ以上の答えは出なかったので、二人は先に進んだ。手を合わせるべきか千歳が尋ねたが、得体の知れない神仏をむやみやたらに拝まないほうが良いと、最後の文言を昴は無視した。 そもそも、地蔵尊の下にはかつての村民たちの墓があるという。縁のない人間が霊前に手を合わせることに対して、昴は人一倍慎重だった。 先へ進んでいくと、道の両端に廃屋が点在しているのが見えた。 「夢の中ではこういう建物は無かったですね。ただ坂道が真っ直ぐ続いていただけで」 千歳がそう言ったとき、カタリと小さな物音が崩れかけた倉庫から聞こえた。思わず二人は身構え、音がした方向に顔を向ける。しばらく互いに沈黙を守り、新たな動きがないかを待っていたが、それ以降は何の物音もしなかった。 「……びっくりしましたねー……」 千歳は緊張を緩めて大きく息を吐く。 「誰かいるのかと緊張しましたよ、もう……」 こういう場合、生きている人間に遭遇するときのほうが妙な緊張感がある。相手が心霊スポットを目的に訪れているならばいざしらず、それ以外の人間がこういう場所に訪れているとなると何が目的なのか色々と勘ぐってしまう。 「もしかすると、長官って……心霊スポットとか苦手だったりします?」 先程の千歳の言動を見てふと気付いたことを尋ねてみたところ、千歳は分かりやすく表情を固まらせた。 「あ、はは……境越にいるのに情けないと思われるかもですが……実は、ほどほどに怖がりです」 昴は笑い出しそうになる自分を抑えようとしたが、結局堪え切れずにむせてしまった。 「すいません……馬鹿にしたとかじゃなくて」 「いやあ、実際みっともないと自覚してるので」 「ちなみに、鶴ちゃんはそのこと知っているんですか?」 「言ってないので、気付かれていない限り知らないかと……」 そうかそうかと納得し、自分がこの長官に親しみを覚えている理由に昴はふと考え至った。 「いえ、長官のお気持ち分かりますよ。私も代々こういうことやってる家系出身じゃなくて、一般家庭の子でしたし、こういう体質にでもならなければ一生無縁の世界でしたもん」 こういう、と言いながら、昴が己の腕をコートの上からさすったのを見て、千歳はかける言葉を見つけようと間を置いた。 「その、僕あまり詳しくないんですが……」 境越祓所に限らず、怪異観測機関に所属している人間は大半が事情持ちだ。それは、寝ても覚めてもおばけのことに関わっていたい癖の人間もいれば、本人の意思とは関係なく怪異の世界に足を踏み入れてしまった人間もいる。 昴は完全に後者の人間だった。蛇に関する呪いを受け、それを解くためにこの世界に入ったとだけ聞き知っているが、それ以上の深い事情は踏み込んで聞いたことはなかった。 「ああ、気を遣わなくていいですよ」 歩きながら、昴は袖口を少し上にたくし上げた。 「見えます?」 「……いえ、なにも。ああ、でも僕が見えていないだけかも」 袖から覗いた白い肌には特に異常は見られない。千歳は怪異の血こそ引いているが、あらゆる怪異を認識できる能力は持っていない。彼はただ、夢異界に強いというだけの存在なのだ。そのことを話す千歳に、昴はそうではないのだと訂正した。 「これ……私と家族以外、誰も見えないんですよ。うちの部門の人間でも、本当に誰一人として見えないんです」 昴が言うには、自身の身体には幅3cm程の太さの鱗状の痣が縄のようについているのだという。それは足首から巻き付くように始まり臍下で止まると、次に左手首から内側に向かって伸びていっているのだそうだ。 「最終的には、心臓に届くんだと思います」 そして、呪いに完全に蝕まれて死ぬのだと。 カサカサと落ち葉を踏みしめながら、昴は淡々と話す。どこか他人事のように。だが、そんなふうを装わないと事態を冷静に受け止められないのだろうと、千歳は察した。 「そもそも、これって父が若いとき――まだ独身の頃に仲間と心霊スポットに行ったことが原因なんですって。霊の溜まり場になっていると噂の洞窟に遊びに行って、そこで蛇の尾を誤って踏んでしまったらしいんです。本人の身には何も起こらなかったから、そのときは暫くして忘れてしまった程度の出来事だったとか」 昴はそう言って小さく笑った。心霊スポットに遊び半分に行く人間を嫌悪している理由が窺い知れたと同時に、その口調からは父親に対する侮蔑や嫌悪の感情は感じなかった。 「でも、私が生まれたときに、足首に変な痣があることに両親が驚いて、病気じゃないかと色々調べてもらったけど、医者にはそんな痣見えないと一蹴されて……まあ、呪いですからね。それで法事に来ていたお坊さんに相談して、その伝手で色々と紹介を受けて、最終的に鶴ちゃんのお父さん――由良志郎さんに頼ることになったんです」 「先代に……」 「私が5歳のときです。そのときにはもう、左脚の膝のところまで痣が広がっていました。志郎さんは、このまま放置していると20歳になる前に蛇の呪いで死ぬことを霊視して、呪いの進行を止めるために、色々な呪術的な措置を施してくれました。この格好も、そうなんですよ」 昴は、鎖骨下まで伸びた濃い栗色の髪を指先で払ってみせた。彼の振る舞いは、いつも爪の先まで丁寧で繊細だと、千歳はその仕草を見て思う。 「女性が男装を、男性が女装を――そうやって己の性別を偽ることで呪いの進行を遅らせたり、霊的なパワーを高めたりできるそうです」 昴は今年で30歳を迎える。当時、成人を迎えずに死ぬと言われていたのなら、かなり進行を止められていると言えよう。彼の父は自分が若い頃に起こしたことが、我が子に災いを被せてしまったことに強い責任を感じていたという。女装を課せられた子供がいじめに遭わないように、あらゆる学校についてリサーチし、多様性を認めた教育を実施している小中高一貫の私立学校へ苦労して入らせてくれたそうだ。 「引っ越し先の近くに住んでいた、志郎さんの知り合いの霊能者に師事して怪異への対処を学びましたけど、それだけでは解決策が見つからなかったので、高校卒業後にここに入ったんです。蛇のことを調べていれば、いつか呪いを解除する方法が見つかるかもしれないって」 小さく笑って、昴はこう締めくくった。 「だから、私も普通にこういう場所は苦手ですし、長官のお気持ちも少しは理解できるつもりです。お互い、ちょっと特殊な体質の普通の人間ってことで」 昴の言葉に、千歳は胸の奥からじわりと温かいものが込み上げるのを感じた。 蛇の怪異と聞けばすぐに飛んで行く昴の行動からは、なにか執念めいた事情を察しており、怪異の血を引く自分のことをどこかで良く思われていないのではないかと先程まで気に掛けていた。 だが、彼の言葉には自分を人として扱ってくれる響きがあった。自身の生い立ちを知ってからどこかで抱き続けていた孤独感が、薄まったように感じたのだ。こういうときに何と言っていいのか分からず、戸惑いを覚えた千歳が足を止めたとき、カサカサと落ち葉の上を歩く音が離れた場所から聞こえた。 うわ、と言おうとして、千歳は咄嗟に口を手で塞ぐ。 林の奥、木が横倒しになっている向こう側に、人の背中が見えた。カーキ色のジャンパーを着ており、服装から男のように見える。横に視線を向けると、昴も警戒したように身構えていた。 息を潜めて見守っていると、豆粒大の後ろ姿はこちらに気付いた様子もなく、そのままどこかへと歩き去って行った。 ――さっきの倉庫での物音も、あの人だったんだろうか。あれは、人で間違いないのだろうか。 「あの人、何しにここに来たんでしょう……」 昴の呟きに、千歳は「どういうことです?」と真意を尋ねる。 「こんな荒れた場所に入るには軽装でしたし、荷物らしきものも何も持ってなかったでしょう? 心霊スポットに来たって感じではないし……ホームレスという感じでもないし」 人の姿を見たことで身構えてしまい、そこまで注意深く観察できていなかったことを千歳は内省する。 「とりあえず、鉢合わせしたら厄介だし、あっちの方向に行ってみましょうか」 「そうですね」 道を挟んで男が居たのと反対側の廃屋が点在する場所を探索する。ほとんどの家が斜めに傾いており、完全に崩れ落ちている建物もある。家屋の中に入るのは避け、周辺を記録していく。 「そういえば、前にここに来たときもおかしいなって思ったんですけど……ここ、蛇神信仰があったというのに、そういう痕跡が一切残っていなんですよね」 「ああ、資料にもありましたね。道端に蛇の小さな石像が祀ってあったり、水脈に沿って木の上に白い布を垂らしていたり……」 明治時代に撮影されたセピア色の写真には、一定間隔で木の枝にくくり付けられた白い布が垂れ下がって道のように林の奥まで続いている光景が写っていた。蛇神は水脈を住処としており、その上を足で踏むことがないように目印をしているのだと説明が記されてあったが、ここまで歩いて来てもそういったものは目にしていない。 引き続き奥を目指しながら、昴はこの地の蛇神信仰について千歳に解説をする。 「遠路地村は昭和の初め頃まで農業で生計を立てる家が多かったんですが、昭和25年に制定された造林臨時措置法をきっかけに植林ブームが全国に起こって、それに乗じて森林産業に転じたそうなんです。それまでは農村だったので、田畑を守り雨を降らせる蛇を信仰していたのも、ごく自然なことなんですよ」 「そうだよ」 返ってきた相槌に、昴は弾かれたように振り返った。明らかに、千歳の声ではない、低い男の声だったのだ。 背後を歩いていると思っていた千歳の姿がないことに、このとき初めて昴は気付いた。どこにいるのかと視線を動かしている内に、己の視界の上に白いなにかが映った。 辿るように視線を上げると、木の高いところから一枚の白い布が垂れて、風に揺れている。思わず後ろへ後退ると、濡れた落ち葉が重なっていたのか、ずるりと足を滑らせた。 ――まずい。 そう思ったときには身体のバランスを大きく崩し、昴は山の斜面を転がり落ちていった。 <episode 3に続く>