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matsuri7103
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佐賀、神隠しの村<episode 1>

 そこがどんな村であったかを知る人は、もう誰も生きていない ●  「なんだか今日は夢見が悪かったなぁ……」  鶴子の父、由良志郎は時折そう言って自身が見た悪夢の内容を家族に語っていた。 なんでも、悪い夢は口にすることで正夢にならずに済むという言い伝えがあるそうだ。 だから、鶴子も深く考えずに夢の話を聞いていた。 だが、その日の朝は違った。父は、いつまで経っても起きてこなかった。 それから、鶴子は悪夢の話を聞くのが怖くなった。 代々怪異祓いを行ってきた由良家の人間として、あれが怖いこれが嫌などと口にこそ出さないが――本当は、今でもずっと嫌なのだ。悪夢の話は。 ●  その日の奥田千歳は、いつもと様子が違っていた。 普段より少し遅くに出勤し、常の溌溂さが幾何か薄れており、どことなく意識が余所を向いているようだ。  鶴子が初めて千歳に逢ったとき、彼はまだ自分と目線の高さが変わらない、あどけない少年だった。 紆余曲折あり、今では自分の上司という立場で境越祓所の長を務めている。随分と目線の位置が変わり、少年から青年となった今でも、鶴子のなかでは弟のような存在であった。 鶴子がなにかと千歳に気を掛けるのも、役職上の問題だけではなく、弟を見守る姉のような感情からくることを自覚している。  千歳の些細な変化にいち早く気付いた鶴子は、報告書に目を通している千歳に、淹れたてのココアが入ったマグカップを差し出して様子を尋ねた。 「調子でも悪いんですか?」 もっと気遣うようなことが言えたらと思うが、どうしても簡素な物言いになってしまう。 千歳は特に気にしたふうもなく「あー……ごめんなさい、ちょっと集中してなかったですか」と顧みた。それから気恥ずかしそうに「ちょっと変な夢を見て、起きてからもずっと気になってるんですよね」と言った。 ――変な夢。 由良は表情こそ変えなかったが、己の心臓が一拍大きく鳴ったように感じた。 「どんな夢ですか?」 自分のデスクに座り直して尋ねる。 「えーっと……そうだなぁ……、まずいつもと違って、これが夢だと自覚したとき、『夢の入り口』じゃなくて見たこともない緩い坂道を歩いていたんです。 舗装された道路で、山を切り開いて出来た道なのか、周囲は高い木が生い茂ってる所でした。 僕の前には黒い服を着た人が数人、間隔ばらばらで一列になって歩いていて、振り返ると後ろにも同じように黒い服の人達が坂道を歩いていました。 自分の今の状況を認識した途端、『今から誰かの結婚式に参加するんだ』という意識がインプットされるんです」  鶴子は、奥田の「誰かの結婚式に参加する」という言葉に、記憶の引き出しが微かに開いたような、奇妙な胸のざわめきを覚えた。 「それで……?」 「それで坂道を上がりきると、大きな日本家屋が目の前に現れるんです。武家屋敷というより、茅葺き屋根の大きな庄屋のお屋敷といった感じでしたね。 僕はいつの間にか先を歩いていた人達と合流していて、……そうしたら、前に立っていた人が振り返って『君もこの家に呼ばれたのか』といったことを話し掛けてきたんです。 そのときは変な質問の仕方だなと漠然と思ったくらいだったんですけど、屋敷の中に入って細長い廊下を歩いているときに見えた部屋の様子が、なんだか結婚式というよりも、お葬式でも始まるような空気感で……そこで違和感が強くなったときに、屋敷の外から女の人の声が聞こえてきました」  千歳の話を聞いていく内に、由良の記憶の引き出しが開いていき、開いた隙間から漏れ出たものが父の声となって頭の中で甦る。 『俺は最初、その家の結婚式に呼ばれたつもりでいたんだけど、どうにも家の様子がお葬式の準備をしている雰囲気なんだよ』 『それから、どこからともなく歌が聞こえてきて、周りの人間はその歌を聞かないように耳を塞いだり、家の奥に逃げるように引っ込んだりしていたなぁ』 『俺はその歌を聞いて……それから、ええと……その先のことは覚えていないんだけど、目が覚めたときに、忌事に触れてしまったな、という感覚だけが残っているんだ』 ――その話をした一週間後、父は帰らぬ人となった。 「長官は、歌が聞こえてきたときにどうしたんですか?」 「ん? 歌って言いましたっけ、俺」 「あ、いえ……正しくは、女性の声、でしたね」 鶴子の言葉に、千歳は言葉を探すように宙に視線を向けた。 「ああ……あれは歌だったのか。そう言われると確かに歌っぽくもありました。……最初は女の人が、どこかでお経を唱えているのかなって思ったんです。 何を言っているのか、内容は全く分からないんです。声はちゃんと聞こえてくるし、日本語を話しているようなんだけど、全く知らない方言を聞いているみたいな……言っている内容が全く理解できないみたいな感じで、ただ普通に話しているんじゃなくて、間延びしたような、そう、歌っているような妙なリズムで何かを言っているんです」 「その女性の姿は見えましたか?」 「外のどこかで歌っているのは分かるんですけど、姿は見えなかったですね……でも、だんだん近づいているような気配はあって、声がくっきりと鮮明になってくるんです。 しばらく廊下に立ったまま聞いていたら、最初に声を掛けてきた黒服の男の人が、『あれに捕まったら終わりだよ』って言って、彼は奥の部屋に逃げるように足早に引っ込んでいきましたね。 男の人の忠告を聞いたとき、俺は『この声が何を言っているのか理解できたらダメなんだ』と、途端に分かったんです」 千歳の話を聞きながらも、鶴子の脳裏には生前の父の姿が浮かんでいた。 「……それから、どうしたんですか?」 「それから……俺は、なぜか他の人のように家の奥じゃなくて、屋敷の外に出たんです。 この家から逃げなくちゃダメだ、と思って。 土間から裏口を抜けて、広い畑に出ました。そうしたら、声の主が明らかにこっちに近付いてきている気配が強くなったんです。いえ、姿は見えないんですけど、声が近くなったからそう思って。 それからはもう全力ダッシュですよ。畑を抜けてがむしゃらに走っていたら、最初の坂道に戻っていました。そこで、後ろから女性が二人、俺を呼びながら走ってきました。 俺を追ってきているっぽい女の人の声は、低めのトーンだったんですけど、坂道で俺を呼んだ二人はそれと違って高いトーンだったから、明らかに違うなというのが分かりました。 立ち止まって待ったら、二人の女性はすぐに追いついてきて、『私達もあの家から逃げている、一緒に連れて行って』と泣きそうな様子で縋られました。 それから二人を連れて坂道を下っていたんですが、短いトンネルを抜けたところで夢は覚めたんです」 「それで声の主は……いえ、それよりも、歌の内容は結局分からないままですか」 「うーん……、逃げているときに声に追いつかれそうになったり、姿も少し視界の端に映ったりはしたんだけど、結局何を言っているのかは理解できないままでしたね」 千歳の言葉に、鶴子は少し緊張の糸が緩むのを感じた。小さく息を吐くと、質問を続ける。 「姿は、どんなふうでした」 「黒い服でした……ワンピースタイプの喪服のように見えましたね。長い黒髪は少しぼさぼさで、年は僕と近い感じがしました。悠然と歩いている感じなのに、追い付かれそうな感覚がちょっと怖かったです」 夢の内容を怖いと感じたのを恥じているのか、小さく笑って誤魔化すと、千歳はマグカップを手に取ってココアに口を付けた。  鶴子は、千歳から聞いた夢の内容を頭の中で反芻する。 父の話していた内容と似通ったところが多いが、夢からの覚め方が全く違う。 そもそも、夢の中でも自我を保てることが、千歳がこの部門の長に据えられた最たる理由である。夢異界を根城とする怪異の血を引く彼は、無意識に、夢の中でどう動くのが正解かを選び取っているように思う。 ――だが、それでも不安は拭えない。 悪い夢は話してしまったからもう大丈夫だと笑った父は、一週間後に夢から覚めずに命の火を消してしまった。 奥田長官が大丈夫であるとは、まだ安心できない。  心の内側へと沈んでいく鶴子の意識は、コンコンと硬いノックの音で浮上した。 「どうぞ」という千歳の声の後に、ゆっくりとドアが開き、隙間から部屋の様子を窺うように顔を見せたのは、昨日現地で調査を終えたばかりの卯月昴(うづき すばる)だった。 「ごめんなさい……報告に上がろうと伺ったんだけど、なんだか込み入った話をしていたから入り辛くて、外で聞いちゃったわ」 気まずそうに笑いながら部屋に入った昴は「盗み聞きするつもりはなかったんだけど」と前置きをして、「長官の話していたお屋敷の特徴、詳しく教えてくれませんか?」と千歳に視線を向けた。 昴の意図が分からずに不思議そうな表情を浮かべた千歳だったが、尋ねられるままに口を開いた。だが、質問した当人が慌ただしげに千歳が話し出すのを制してしまった。 「あ、待って待って。その前に! その助けた二人の女性って、この子達のことかしら?」 昴は手にしていた資料から二枚の写真を抜き取ると、千歳の机の上に並べた。  鶴子も自分のデスクから立ち上がって千歳のデスクを覗き込むと、写真に写っているのはいずれも二十代前半くらいの女性だと確認できた。 「ああ、うん。この人達ですよ! でもどうして……?」 千歳は驚いたように顔を上げて、写真を持ってきた昴に目を向ける。 千歳と鶴子の視線を集めた昴は、「はぁ……めんどくさいことになったわー」と盛大に溜息を吐くと、昴は応接用の長ソファに腰を沈めた。どことなく疲れが滲んだ様子に、鶴子は戸棚からコーヒーパックを取り出し始めた。  「いえ、もともと報告内容と被ることではあるんですけどね、……昨日まで佐賀でやってた調査の件で」 「神隠しの村、といわれている場所の調査でしたよね。お疲れ様です。それとこの写真の女性達が関係しているんですか?」 千歳は帰還した昴を改めて労いながら、写真に視線を落とす。  昴は特殊な事情があり『蛇』に関する怪異を専門として対処しているため、特定の調査エリアを持たずに全国各地を飛び回っている。今回、裏神祇事務局から回ってきた案件の場所が蛇神の由来がある土地であったために、昴が調査を担当することとなった。 人命が関係しているらしく「詳しいことは現地の警察が教えてくれる。とりあえず現場に行ってくれ」という裏神祇事務局長官である土御門(つちみかど)の圧に気圧されてしまい、事前情報の少ないまま向かわせた経緯があった。  「私が行った遠路地村(えんろじむら)は、佐賀でも有名な心霊スポットで……66年前に集落の住人全員が一夜にして失踪した曰くがあるんです」 昴は、現地に到着したところから話し始めた。 「遠路地村ですか……確か、明治の頃に八百白館の先達が調査した記録が残っていますね。遠路地は『オロチ』とも読めて、蛇神信仰の痕跡もあったとか。66年前ってことはそれよりもずっと後の事件なんですね」 コーヒーの入ったドリンクカップを昴に渡しながら、鶴子は以前に読んだ資料について言及する。昴は「わぁ、ありがとう」と言って両手でカップを受け取ると、容器から伝わる熱で掌を温めた。 「そうねー、そのときは事件性が高いってことで、うちに依頼は来なかったみたいね。なんでも……住民が姿を消した村は、争った形跡こそ無いものの、ところどころに血痕が残ってたみたいよ。獣害か人の手によるものかは未だに不明で、警察の間では『24人殺しの村』という名前で伝わってるんだって」 「心霊現象が起きたのもその頃ですか?」 千歳の問いに、昴は小さく首を横に振って否定する。 「いえ、つい最近です。心霊スポットに行くのが動画配信でウケるようになって、過去に殺人事件が起きた現場とかを、わざわざ調べて行くような奴らが増えてるでしょう。そいつらが遠路地村を“神隠しの村”だとか名付けて、『変な声が映像に入ってる』とか『画面の端に誰かの足が映ってた』とか騒いでいたら有名になってしまったそうですよ」 心霊スポットと知りながら無秩序に自分から足を踏み入れる人間に対して話すとき、昴の声は一気に毒気を増す。 喉からせり上がってくる不快感を流し込むように、少しばかりぬるくなったコーヒーを流し込むと、「今回のも、そういう内容でした」と調査について話を戻した。 「男女四人の大学生が深夜に遠路地村に行ったところ、一緒に歩いていたはずの女の子二人が急に姿を消したそうなんです。配信用に撮影してた映像を確認させてもらったんだけど、本当に……“忽然”といった感じで。しばらくは男の子達も辺りを探してたみたいなんだけど、全然見つからないから地元の交番に駆け付けたんですって。場所が場所っていうのもあって、警察の上層部から内々に土御門長官に話がいって、ウチに回ってきた……っていうのが、一連の流れだったそうですよ」 昴は持っていたカップを机の上に置くと、「これが詳細な資料なんですが」と鞄から紙の束やSDカードの入ったファイルを取り出した。近くにいた鶴子が手に取って、そのまま千歳に渡す。 千歳はSDカードを先に取り出し、自身のパソコンに挿入した。 「警察側のデータはコピー不可だったので、そっちは私が現地で撮ったものだけですが」 写真を順番に展開していた千歳は、徐々に難し気な表情に変わっていく。 「この村……だいぶ、廃れてるけど……でも……なんか」 「――似てますか? 長官が見たという夢の場所と」 昴に言い当てられた千歳は、なぜ分かるんだと問うように視線を向けた。 「私が現地で調査していたら、何も無かったところから急に女の子達が現れたんですよ。失踪したっていう、その写真の女性二人です。すぐに警察に保護されて、私もよく分からないままひとまず戻ってきたんですが……長官のお話を聞いて、まさかと思って」 鶴子は、愕然としたように目を見開いた。 「その、夢の場所が……遠路地村だった、ということですか?」 千歳は、再びモニターに映し出された画像を凝視する。 「あの村、実在していたんだ……」  部屋を包んでいた沈黙を破ったのは、千歳の意を決した声だった。 「由良さん、しばらく本部を空けてもいいですか。僕、どうしてもこの村のことが気になるんです」 ――父の見た悪夢。奥田長官の見た悪夢。歌う不吉な女。忌事。 様々な思いが、一瞬にして頭の中を駆け巡る。 通夜に来た客が皆帰り、誰もいなくなった部屋でただ一人、父の棺の前で泣いた。子供のように、泣いた。悲しいのか、悔しいのか分からず、ただただ辛かったのを憶えている。 そして――もう決して弱音は吐かない、誰にも由良志郎の名を汚させないと心に誓った。 由良志郎の娘なら、ここでどう振舞うのが正しいか、ちゃんと分かっている。 「お気をつけて、長官。留守は任せてください」 ――大丈夫、声は震えなかった。 鶴子は毅然とした笑みで、千歳の背を押した。

佐賀、神隠しの村<episode 1>

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