夜の9時を回り、ほとんどの職員が帰宅した八百白館本部の事務室では、瀬田と坊野の二人が居残って共有ファイル用の資料を作成していた。 「よし、……これで完了!」 「やった、終わったー!」 最終チェックを終えて管理者へデータ送信すると、瀬田は椅子に座ったまま大きく腕を上げて伸びをする。肩の凝りをほぐしているようにも、大きく万歳して喜びを表しているようにも見えるポーズだ。 「コーヒーでも飲むか」と言って坊野が席を立つと、瀬田も頷いて事務室を後にした。 二階廊下の突き当りにある休憩室は明かりが点いていて、ドアを開けると先客が「おつかれ~」と二人に声を掛けた。瀬田と坊野の同期である柴咲瑠璃子はコーヒーを片手に、空いているほうの手を小さく振る。 「ルリちゃん、帰ってたんだ」 瀬田は小さく驚いたように言うと、眼鏡のズレを直すようにブリッジに触れた。瀬田と柴咲は幼稚園からの幼馴染で、思春期を迎える頃には「瀬田君」と呼び方を変えた柴咲に対し、瀬田は幼い頃からの呼び名をそのまま変えずにいる。 「いつ戻ってきたんだ?」 坊野は柴咲に尋ねながら、カップ式自販機のボタンを押してコーヒーが出てくるのを待つ。 「夕方の……5時くらいかな。しばらく映像室で撮ったもの見返してたんだけど、ウチのとこだけで片付けて良いのか分からなくて報告書だけ清書してたの」 作業はもう終えたのだろう、彼女は閉じたノートパソコンを脇に置いていた。 柴咲は瀬田のミスをカバーするために、坊野同様、再調査で福島県に行っていたのだ。瀬田はその話題が出るたびに申し訳ない気持ちになり、再度柴咲に詫びの言葉を入れそうになったのだが、さっぱりとした性格の彼女が何度も謝罪を受けるのを良しとしないのも分かっていた。そのため言いかけた言葉をぐっと呑み込んで、代わりに気になった言葉を拾って尋ねる。 「うちだけで片付けられないって……もしかして、ヤバいやつでも映ってた?」 瀬田は棚からチョコレートやクッキーの入った箱を取り出して、三人が座るスペースに広げていく。ちょうど二人分のコーヒーを持って坊野が戻ってきたタイミングで、二人は柴咲と向かい合うような位置で四人掛けテーブルについた。 柴咲は、宝石のように美しいチョコレートをつまんで口に含むと、甘さと独特の風味豊かな苦みを堪能した。脳に糖分が沁み込むような感覚が、彼女の疲れを軽減させた。そのとき、自分がやや疲れていたことをようやく自覚したのだ。 口の中の水分を戻すために、ぬるくなったコーヒーを一口飲むと「知ってると思うけど」と柴咲は口を開いた。 ――私、あんまり霊感とか無いから、調査中はカメラで映像撮るようにしてるでしょ。この前、浜門君に「そのカメラ、霊的な機能を備えたすごいやつですか?」って興味津々って感じで聞かれたけど、普通に電気屋で買ったやつなんだわ。私よりも量産電子機器のほうが霊感あるって事実に、ちょっと笑っちゃったわよ。 ごめんごめん、脱線した。それで、【福島の雪洞花嫁(ぼんぼりはなよめ)】。あれを調査しに矢髪町(やがみちょう)に行ったんだけど、伝説のある妻篭村(つまごめむら)は……ダムの底に沈んでました。水が深すぎて、底がどうなっているかは全然見えなかったんだけどね。ダムの看板に書かれてた、沈んだ場所の一覧を見たときは時代の流れを感じて背筋が寒くなったわ。 それで町役場や公共図書館行って調べたんだけど、雪洞花嫁の歴史が詳しく書かれた資料があったから必要な部分は写してきた。役場のおじさんが親切な人でさ、言い伝えられていることも記録してきたよ。 最初に雪洞花嫁の記載が見られたのは、室町時代の伝統行事を書いた『婚儀風物記』を写したとされる、江戸時代初期の写本『新婚儀風物記』らしいのよ。でも、「雪洞」自体がいつから日本にあったのか謎とされていて……、分かっているのが江戸時代が最初――もし室町時代からあったとすると、これって歴史的発見に繋がるんじゃない? ただ、内容を見ているとちょっと気になることがあるのよね。 そもそも雪洞花嫁は、寒冷地の農閑期であった冬季に婚礼が行われることが多くて、花嫁衣装の綿帽子に見立てたかまくらを作って、その中で三々九度の式を行ったというのが始まりなの。はっきりと明記されていないけど、役場のおじさんの話からすると婚礼の儀式そのものを指した名称だろうって。「雪洞」って「せつどう」と読むと、「かまくら」という意味もあるでしょう? だとすると、初めは「ぼんぼり花嫁」じゃなくて「せつどう花嫁」と呼んでいたのかもしれないよね。それから農耕技術が発達して、冬季以外にも婚礼を上げるようになった頃、火袋に絵入りをしていない真っ白な「ぼんぼり」を花嫁道具として持参して、婚礼の儀式で使うようになったんだって。 この嫁入り道具の雪洞は、家に嫁いだ花嫁が亡くなった時に、無地の火袋の箇所に花嫁の戒名を書いて寺に奉納していたらしい。 奉納されていたお寺は三ヶ所名前が載っていて、その内二つは村と共にダムに沈んでいることが分かった。だけど、残りの一つ――文光寺という寺は、古地図と照らし合わせてみたらダムの圏内に入ってなかったから、痕跡が無いか確認してみようと思って、もう一度ダムのところに行ったのよね。 ……ここからは、実際に見てもらったほうが早いと思うわ。 そこまで語ると、柴咲は自身の鞄からハンディカムを取り出し、電源を入れる。保存したデータを再生すると、瀬田と坊野が見やすいように画面を向けた。 画面にはダムに架かった歩道橋が映っている。画面の揺れや砂利を踏む音から、移動しながら撮影しているのが分かった。 「マップを確認すると、文光寺はあの場所にあるみたいです」 記録用として、丁寧な話し方でリポートをしている柴咲の声が入っている。彼女が「あの場所」と言ってカメラを向けた先には、山とも森とも言えるような鬱蒼と木々が生えている場所が見えた。 歩道とは言えないが獣道ほど荒れているわけでもない道を歩き、山の奥に分け入っているのが映像から伝わってくる。時刻表示は16:23とあり、山端は既に暗くなりつつあるのが見てとれた。 「多分、この道を真っ直ぐ行くと辿り着くはずです」 「そうだね」 「段々と獣道になってきた……竹が倒れてるけど、下を潜れば行けそうです」 「うん」 柴咲の声に相槌を打つ男の声が入っている。現地人のガイドだろうか。 「あ、見えた! 見えました。あれ、どう見てもお寺ですよね」 「うんうん」 木々の間に見えたのは、木造の古びたお堂だった。足早に近付いているのが、揺れの大きくなった画面と足音、少し荒くなった息遣いで伝わってくる。 お堂はいつから無人になったのかは分からないが、足を踏み入れても問題ない程度には形状を保っていた。柱も随分古くなっているが、腐ってはいないようだ。本来、寺の名前が書かれている額は、文字が削れて判別ができない。 「中、入れるのかな」 「開けてみようか」 女性の手がお堂の扉に手を掛けると、ギシギシと音を立てながら開いた。暗いお堂の中には、本尊も何もなかった。がらんとした堂内が、ライトの光で照らされる。木の板の床の上、両サイドの壁際に火の消えた雪洞がずらりと等間隔に並んでいた。 「うわ……」と、柴咲が小さく声を上げる。その声に重なるように、「わー」という平坦な男の声も入っていた。 画面がズームになり、遠目に見えていた雪洞の一つが拡大して映される。元は白かったであろう火袋は、時の劣化に逆らえずに黄ばんだ色になっていた。 「あれが、例の雪洞でしょうか」 「入ってみる?」 ゆっくりと堂内に入っていく映像が流れる。先程のズームされた映像と違って画質が荒くないので、カメラを持つ柴咲が直接堂内に入っていることは察せられた。 暗い堂内の右と左の壁にはそれぞれ六つ、計十二の雪洞が並んでいた。 「やっぱり……」 柴咲がそう言ってカメラを向ける位置をずらしていくと、無地の雪洞に薄い朱色で「霊妙院道楓信女」と書かれてあった。戒名だ。 「雪洞花嫁の言い伝えの通りです」 「まだ帰らない?」 男の声は、柴咲に帰路を促しているようだ。 映像を見せられている二人も、時間帯を考えれば山から早く降りたほうが安全だろうという考えが浮かんだ。 柴咲はその声には応えずに、全ての雪洞を撮影し終わってからお堂を後にした。 お堂の扉を閉めたところで映像を止めると、柴咲は「あのさ……」と口を開く。 「私と会話するみたいにずっと男の人の声、入ってたじゃん」 「そうだね」 「現地で案内してくれた人?」 二人の返しに、柴咲は困ったように小さく笑う。 「私、このとき一人で調査してたんだよね」