見た目には何の変哲もない、普通のバスに見える。とはいえ、経験の浅い俺に判断できるものでもないけれど。 バスには美海先輩が先に、続いて三善さんが乗り込んだ。これは最初から決めていたことで、美海先輩が運転手に近い前の座席、三善さんが動きやすい中央辺り、俺が一番後ろの一列席と、ばらけて座ることでバスの全体を観察するという目的のためだった。 俺も三善さんの背中に続き、バスステップへと足を掛ける。一瞬、立ちくらみのような感覚を得たが、すぐに治まった。俯かせていた顔を上げると、既に中央の一人掛け用の席に座った三善さんと目が合う。三善さんは視線を左後ろに動かし、また俺に戻した。三善さんに倣い、座るはずの後部座席に目を向けると、先客がいるのが分かった。 白い、着物姿のおじさんだ。 誰もいないと思っていたのと、この場に不似合いな格好の中年男性の存在に一瞬ひるんだが、俺は予定通り後ろへと向かい、四人掛けの後部座席の左隅に座り、登山リュックを膝の上に置いた。 扉が音を立てて閉まると、運転手の掛け声と共にバスが動き出した。 ちらりと視線を右側に向けて、端に座っているおじさんを見遣る。白い狩衣は、小祭用の装束だと分かった。乗り込んだときは上半身しか見えなかったので分からなかったが、袴の色は紫、暗がりでよく見えないが文様が入っているのが見えた。白だったらはっきりと見て分かる。多分、袴と同色の紫紋――宮司の中でもベテラン階級の人が着る袴の色だ。 宮司がこんな時間に、バスに乗ってどこに行くんだろう。 いや、そもそも、この人はどこから乗ってきたんだろうか。 それに、本当に「人」なんだろうか。 前の方では、美海先輩が運転手と何か話しているようだ。距離があるのと、声を抑えて話しているみたいで、会話の内容まではあまり聞こえてこない。けれど、情報収集のために聞き込みをしているのだろうとは推測できた。三善さんは窓の外を見ていた。こちらに反応しないということは、このおじさんは人間で間違いないのだろうか。 俺も、何か情報収集したほうが良いんだろうな。 そう考えながら、もう一度気付かれにくいようにちらりと右側に視線を向けると、おじさんはこっちを見ていた。 うわ、と内心で声にする。 「どうも、こんばんは」 おじさんは、にこやかに笑った。 ちらちらと見ているのがバレたのだろう。 「この格好、山では変ですよね」と、こちらの考えを見越したようにおじさんは苦笑いを零す。 「いや、まー……、はは……」と取り繕うように笑いながら、俺が会話の糸口にとひねり出せた言葉は、「もしかして、神主さんですか?」という、しょうもない問いかけだけだった。 「ええ、山の麓にある姥捨神社の宮司をしておりまして。今日は山で供養祭があったので、こんな格好ですが」 「供養祭……」 姥捨神社の名前が当たり前のように出たことにも驚いたが、供養祭というのが気に掛かった。 「…………姥捨て、って知ってます?」 「あ、はい……働けなくなったお年寄りを山に捨てるっていうやつですよね」 「ええ、昔……江戸時代の頃ですね。この辺でもそういう風習があったそうなんですよ」 おじさんはそう言うと、窓に視線を向けた。窓の奥は真っ暗な世界が広がっていて、塗りつぶされたような黒いガラス窓に、おじさんの顔が映ってこちらを見ている。 「高齢で働けなくなった老人を、筒状の棺桶に入れて……山から捨てていたそうです。その棺桶がよく落ちてくる場所に、今の姥捨神社が建てられました」 「それが名前の由来なんですね」 「はい。山から転がり落ちてきた棺桶を開けて、亡くなっている方を供養して、まだ生きておられる方は看病していたそうですよ」 姥捨ての歴史が先にあって、それで神社が出来たのか。恐らくは、鎮魂の意味で建てられたのだろう。 でも、変だろう。 そもそも、姥捨神社なんて無い。そして、そんな歴史もこの地域には無い。 なのに、どうしてこのおじさんは、それがさも当然あるかのように喋っているんだ? ポーン……という低い電子音がバス内に響き、俺はいつの間にか俯けていた顔を上げた。 フロント部分の電光版に、「姥捨神社前」という文字が出ている。 そんなバス停名は、来るときには無かった。 無いことが、さも当然のように在る。 それは恐らく、このバスが来たところから始まっているのだろう。 おじさんはすぐに出られるように、座ったまま一席分中央に身を寄せた。自然と、俺との距離が縮まる。顔を向ければ目が合い、小さく会釈をされた。 「私はここで降りますので」 「あ、えーっと、実は俺もここで降りるんですよ」 おじさんの言葉に、俺も思わず言わなくてもよかったかもしれないことを返す。 「え? そうなんですか」 少し訝しそうな様子に、そういう反応が出るのも当然だよな、と内心で感想を得る。 これは最初から決めていたことで、姥捨神社前のバス停が本当にあれば、そこで降りて周辺を調査する手筈になっていた。 「いや、実は朝ちょっと神社に立ち寄ったときに落とし物したみたいで、それで……」 咄嗟に思いついた言い訳だったが、不自然ではなかっただろうかと不安になってくる。だが、「そうだったんですね。それは……見つかるといいですね」とおじさんが同情した視線を向けるのを見て、どうやら違和感は無かったようだと安堵した。 ● バスから降りると、ひんやりとした空気が肌を撫でた。 木々の間に、ぼんやりとした明かりが二つ灯っているのが見える。 あそこに神社があるのか。今朝は森以外なにも無かったはずなのに。 共にバスを降りた宮司さんが「境内で失くしたのですか?」と尋ねてくるのに対し、首肯で答える。 バスを降りたときに、三人は会社の先輩・後輩の間柄であり、荷物がかさばるためにバス内では離れて座っていたことを簡単に説明していた。 宮司さんは荷物から大ぶりな懐中電灯を取り出すと、カチッと音を立ててスイッチを入れた。足元に、円形の光で切り取られた地面が浮かび上がる。 「足元気をつけてください」 宮司さんに続き、土を固めて作られた歩道を歩き、鳥居をくぐると両脇に狛犬と石灯籠が並んでいた。石灯籠には明かりが灯っており、先程バス停から見た光はこれだったのだと理解する。 「よかったら、これ使ってください」 境内に入るなり、宮司さんは俺に懐中電灯を手渡してきた。 「え、でも……」 「私は中にこの荷物を置いてきますので」 宮司さんが指す方向にあるのは、小さな社殿だった。俺はお礼を言って懐中電灯を受け取ると、ちらりと美海先輩と三善さんの顔を窺う。 「探してるフリしてろ」と、美海先輩が言う通りにしていると、ふと周囲の明るさが増した。社殿内の蛍光灯が点けられたようだった。 横目に観察したところ、社殿内の奥に神棚が三つ並んでいるのが見える。中央の神棚の前に見慣れない物を見つけた俺は、思わず足を止め、「それ」に視線が釘付けになってしまった。 美海先輩が横で小さく「なんだ、あれ……」と呟く。 それは、木で出来た小さな筒状の物だった。樽よりも細長く、見慣れない形状であるのに、俺はそれが「棺桶だ」とすぐに理解できてしまった。バスの中で宮司さんの話を聞いていたからだろうか。 「あれが、棺桶ですよ」 俺が小声で先輩二人に言うのに対し、「あれに老人入れて、山の上から転がしていたのか」と三善さんが同じく声のトーンを落として答える。座席の位置的に、俺達の会話が聞こえていたのだろう。 「棺桶を祀っているのか……?」 美海先輩の問いに、誰も答えることができなかった。 ここにいる誰も、その答えを持ち合わせてはいなかった。 あれは、当時の本物の棺桶なのだろうか。 あの中に入っていた人は、生きていたのだろうか。それとも……。 宮司さんが中から出てきて扉を閉めるまで、俺はそんなとりとめのないことを考えながら、木の筒を見つめていた。 ● 落し物は見つけたことにして、宮司さんと境内前で別れた。社近くに停めていた白いスクーターに乗って走る去る宮司さんの姿が完全にいなくなったのを確認すると、三善さんは息を長く吐いた。 「どうだった?」 美海先輩の問いかけに、三善さんは後頭部を搔きながら薄く笑う。 「いやぁ……至って普通の神社ッスね。あの神主さんも普通の人だし」 「え、そうなんですか!?」 ――でも、だとしたら朝に無かったこの神社は一体……。 美海先輩は少し考えるようにしていたが、「じゃあここは、俺達のいる世界と位相が違う、ということか」と推測を声にした。 「多分ですけど、そう考えるのが一番しっくりくるでしょ」 三善さんが何を以てそう判断したのか、俺なんかでは到底理解が及ばない。 時折ざわざわと木々の揺れる音が、昼間のそれよりも不気味に感じる。落ち葉を踏みしめるような、カサッという大きな音が不定期に背後の森から聞こえてくる。あれは木の実が落ちる音だ。午前中にも聞いた音だ。 音が鳴るたびに反応する自分に、そう言い聞かせた。 明かりの消えた夜の神社は来るものを拒むような、ねっとりとした重さを感じる。管理者である宮司さんがこの場に居ないことで、より一層「よそ者」という気持ちが増してくる。 「位相が違うって、ここは異界なんですか?」 位相のことについては複雑で、実はよく理解できていない。案の定というか、三善さんに「ちょっと違うかな」と、出来の悪い生徒に教えるように諭された。 「異界っていうのは、現世と隔絶した空間なんだよ。だけど、位相は現世にも無数にあって、……そうだな、線路をイメージしてほしいんだけど、俺らは一つの位相を線路に沿って走ってる。普段俺らが何気なく生活している位相をA線とする。けれど、この現世という空間にはB線、C線という他の線路も走っているんだ」 三善さんはしゃがみ込むと、持っていたライトで地面を照らし、落ちていた木の棒で並列する線を三本描いた。俺達も合わせてその場にしゃがむ。 「この線路は、普段は交わることなく先へと伸びている。けど、現世にはいくつか位相が交わる場所があって、条件を満たすことで別の線路に入り込んでしまうことがある……らしい。ドッペルゲンガーって知ってるだろ? あれって、別の位相の自分との鉢合わせって説もあるんだって」 三善さんの説明を聞いている内に、俺は今の状況がとんでもなくまずいのではないかと思えてきた。 「え、ちょっと待ってください……それじゃ、俺ら、どうやって元の世界…位相に戻れるんですか? というか、戻れるんですよ…ね?」 三善さんは数拍沈黙すると、「多分ね」と言って美海先輩に視線を向けた。美海先輩は立ち上がると、「お前が調べた内容によると、これまで深夜のバスに乗った二人は元の世界に戻っている。それと、俺の推測だが……姥捨神社について書き込みをした奴は、恐らく違う位相から来た奴が、知らずにそのまま生活を続けているんだと思う。ということは、戻れるか戻れないかについて、法則があるはずだ」と淡々と答えた。 「法則……」 悲観主義のつもりはないが、どうしても戻れずに生きているという方に意識が向いてしまう。 「これまでの二人は、あの場所でバスに乗って、途中下車せず駅で降りている。ということは、位相が混線しているのは、あのバス停から終点までのどこかの空間なんだろうな」 「降りちゃってますね……俺ら」 おばけ関連の事件ではそう驚くこともないと思っていたが、違う位相に迷い込むというのは、俺の予想の範疇を越えている。 俺が息苦しさを感じていると、三善さんがポンと一つ背中を叩いてきた。 「大丈夫、大丈夫。そのために俺が同行したんだし」 「え?」 「確認ですけど、調査はこれで完了ってことで良いですか?」 「そうだな。神意が絡んでいるものではなく、位相による問題だと仮説が立てられたし……ここで得られるものはこれ以上無さそうだ。それに、違う位相に来た場合、長居はするなと上司から言われている」 美海先輩が話す内容については、俺も同じ指示を受けていた。マニュアルのようなもので、配属当初から誰にでも知らされていることだと思う。 危険行為に関する項目で、違う位相や高次元の異界に長時間いると、自分という存在が崩壊するという。 そういえば、ここに最初来たときに、先輩達が何か言っていたような。確か、バス自体は普通で、ただ異界を走っているだけの場合のほうが、より危険だとかなんとか。 ああ、今の状況がまさにそうかと、俺は今更ながらに自身の置かれた状況のまずさに慄く。お化け屋敷に来たと思ったら、酸素ボンベ無しで宇宙に放り出されたような心地だ。 「はい! じゃあ海老名くんは、ここに座って」 三善さんの明るい声にハッと顔を上げると、俺はいつの間にか木々の間に立っていた。ショックが大きくて二人の話をよく聞かないまま、無意識に後ろを付いて歩いていたようだった。ライトで照らしながら辺りを見渡すと、すぐ近くに道が見えた。道を挟んだ対角線上には、建物の黒い影が確認できたので、あそこが先程までいた姥捨神社だろう。 じゃあ、ここは……。 「やっぱり、あんまり聞いてなかったみたいだね」 三善さんが困ったように笑うのに対し、美海先輩は深い溜息を吐いた。 「新人だし、狼狽えるのも仕方がないがな……話はちゃんと聞いておけよ」 そう前置きして、ここが本来の――俺達が元いた位相にあるはずの囲井戸神社の場所で、ここを起点にして元の位相に戻る儀式を行うということだった。 「儀式なんて大仰なものじゃないんだけどね。はい、座ったらこれ飲んで」 三善さんに言われるまま、三人は正三角形を描くように向かい合って地面の上に座り、三善さんが差し出す水筒の水を飲みほした。 冷たい水が喉を通って胃の中に滑り落ち、全身に広がるような感覚を得る。 「うまいな、この水」 「朝、囲井戸神社来た時に、湧き水を汲んでおいたんッスよ」 「あの時に……でも何で水を飲むんですか? お清め的なやつですか?」 返されたコップを水筒に戻して、三善さんはずっと持ち歩いていた長いバッグのチャックを開ける。中身が気になっていたのもあり、さり気なく覗き見てみると、長い袋に包まれた物がバンドで固定されている。三善さんはその長袋ではなく、内ポケットを開けて紐付きの小さな巾着袋のようなものを取り出した。香袋だというのは、ほのかに香る甘い線香のような匂いですぐに分かった。 「いや、お清めじゃなくて、元の位相のものを体内に取り込むことで、元の世界と縁を結ぶため。でも気休めというか、保険というか、それくらいの意味」 そう言いながら、香袋をそれぞれに手渡してきた。 「これは…?」 「これは入眠効果のある香袋。首から下げといて」 「入眠……? 今から眠るんですか?」 こんなところで? 朝を迎えると元に戻っているというやつか? ゾンビ映画とかでよく見たことがある。 そんなことを考えていると、美海先輩が「多分、お前が考えてるのとは違うと思う」と心を読んだかのように先回りで否定された。「海老名くん、考えていることがそのまま顔に出るタイプだね」と三善さんが笑った。 「位相から別の位相に入るには、法則をきちんと理解しないとうまく行かない。けど、それよりも簡単なのは、一度異界に行くって方法。異界に行ってから元の位相に戻るのは、”うちの部門の人間”ならそう難しいことじゃない」 「それってやっぱり、境越の人達が霊力最強クラスで怖いものナシのスーパー霊能集団だからですか」 俺の言葉に、美海先輩が小さく噴き出したのを誤魔化すように咳払いをしている。 「いや、なんだよそれ。違う違う。海老名くんはウチのとこを何かすごく誤解してる気がする……」 三善さんが困惑したように言いながら長袋から取り出しのは、抜き身の日本刀だった。思わず「うわ」と小さく声が漏れる。 この人ずっと日本刀持ち歩いていたのかよ。しかも鞘無いし! 銃刀法とかに反してないか? 大丈夫なの? 「それで空間切り裂くと異空間に繋がるとか、そういうあれですか」 「違うって!」 「お前なんかアニメとか映画とか見すぎだろ」 笑いを堪えた美海先輩に、軽く背中を叩かれてしまった。 そこで俺はようやく、先程まで緊張していた気持ちの糸が嘘みたいにほぐれているのに気付いた。 三善さんは一度小さく咳ばらいをすると、「いいか? ちゃんと説明するからな」と前置きをした。 「これはうちの実家に伝わる霊刀で、真偽はよく分からないけど平安時代に大蟹の妖を切ったとか切ってないとか」 「どっちだ」 「ミミちゃん先輩、今はツッコミはいらないッスから! それで、刀は蟹の怨霊を吸い込んで、持ち主に悪夢を見せるようになったんだけど」 「霊刀なのに妖怪に負けちゃってませんか、それ」 「海老名くんもうるさい! なんでツッコミどころ全部拾うんだよ。裏神祇って東京じゃなくて、なんばグランド花月にでも移転したのか」 三善さんは「脱線するじゃねぇか」と愚痴をこぼしながら、言葉を続けた。最初の頃より口調が大分砕けている気がする。これが本来のこの人なんだろうなと思った。 「それで三輪山の木から作ったこの鞘に納めると、霊障は止んだらしい」 「つまり……鞘が重要ってことか、この場合」 「まあ、刀と鞘両方セットで意味があるらしいですよ、よく知らないけど。とまあ、由来はこの辺にして……要約すると、刀と鞘の両方に霊力がある点が、今回こいつを持ってきた大きな理由です」 ”こいつ”と言ったときに、三善さんは刀を軽く持ち上げた。 そうだ、刀に鞘がない。両方セットで意味があるという、片割れが。 「……鞘のほうを、お前のところの長官が持っているのか」 三善さんがそれ以上説明することなく、美海先輩には全容が掴めたらしい。境越祓所の長官、どんな人なんだろうか。確か、すごく若い人だというのは聞いたことがあるけど。 今も考えていることが表情を通して伝わったのだろう、三善さんが「簡単に説明すると、うちのところの長官は、夢を通して異界と繋がることができるんだ」と言った。 夢と異界の関係については、大学教授が書いた本を読んで勉強したことがある。確かそれによると――。 「えっと、つまり……俺達は一度眠って夢が成す異界に入って、そこから境越の長官に助けてもらって、元の位相に戻るってことですか? でも、精神は戻れたとしても、身体ごと元に戻るのは難しいんじゃないですか」 「よく勉強してるなー、えらいえらい!」 三善さんは茶化すように笑ったが、右手に抜き身の日本刀持っているのが怖いのであまり距離を詰めないでほしい。 「境越の長官は、異界夢で起こったことを『正夢』にすることができる」 「え……」 それって、簡単にできるものじゃないよな。そんな現実離れしたことをできる人間って、実在するのか。境越は魔窟って聞いたけど、そこのトップはやっぱり常人離れしているということだろうか。 「……海老名くんって、うちの部門に同期とかいないの?」 「いや、一人います。刀岐って知ってますか?」 「あー! 刀岐くんか! そうか、君あいつの同期なんだ。………」 三善さんは少しの間沈黙すると、「そっか、なにも聞いてないか」と呟いて、小さく笑った。その笑みがいつもの軽いものではなく、少し嬉しそうに見えたのは、ライトが当たる光の加減によるものかもしれない。 「あの、刀岐がどうかしましたか」 「いや、なんでもない。ごめん、ごめん脱線した。とにかく、後は刀が鞘と引き合って縁を繋ぐから、俺達は眠って夢の世界で集合するだけ!」 「え、夢の世界で集合って」 「水飲んで、同じ調合の香袋下げてるから大丈夫、大丈夫。ほら、頭こっちに向けて、さっさと寝ましょ! 1時に連絡入れなきゃ夢路まで助けに来てくださいって長官にお願いしてるから、あんま待たせないようにしないと」 三善さんは落ち葉の積もった地面に刀を突き立て、ごろんと刀に頭を向けて仰向けに寝転んだ。「もう1時半か……」と時計を確認した後、美海先輩も同じように仰向けに寝る。 30cm以内の距離に刀身があるの怖いなと思ったが、指示された通りに俺も仰向けになった。 虫の声すら聞こえない静かな場所だ。 仰向けになった視界に、星屑に埋め尽くされた夜空が映る。都心部にいたときには、こんな景色見たことがない。日本の空にも、まだこんな星空があるんだな。 そういえば、昔の陰陽師って星を観察して未来を占っていたんだっけ。すげーな。 ……と、いけない。眠ることに集中しないと。 「ところでさ、さっきドッペルゲンガーの話したじゃないですか」 眠りに意識を向けようとしたところで、三善さんが世間話をするような軽い口調で話し始めた。 ――さっき、別の位相で生きてる人の話が出たけど、これって矛盾があると思いません? だって、別の位相でそのまま違和感なく生きられるなら、元々その位相にいた自分はどこにいったんだって話ですよ。その位相に元々自分がいなかったから? だとしたら、存在証明が成立しない。住んでいる場所も、会社も、学校も、どこにも自分の居場所は無いはずでしょ。だから、別の位相にも自分という存在はあるはずなんだ。 だったら、違和感なく線路を走り続けられるのはどうしてなんでしょうね。俺はね、別の自分と統合していくんじゃないかって考えているんですよ。デジャヴって聞いたことあるでしょ? 自分が体験していないはずのことを、どこかで確かに体験したと脳が認識するやつ。あれって、別の位相の自分を吸収した、あるいはされたことで、既に別の位相の自分が体験したことを「過去の自分の体験」と思い込んでいるんじゃないかなって、思うんですよね。 同じ位相に同じ存在が同時に成立するというのは聞いたことがない。ドッペルゲンガーって、自分自身が遭遇したら消されるとか言うじゃないですか。文字通り、「自分」という存在は消えるのかも。 「そう思うと、この俺も複数の位相の俺が重なって出来ているのかもしれないなぁ」 三善さんがつらつらと語る説を聞いて、俺は一つの感想が浮かんだ。だが、先輩相手にそんなことは言えない。そう思っていると、美海先輩がまさに俺の気持ちを代弁したかのようなことを告げてくれた。 「三善、眠れなくなるから黙っていてくれ」 ● 「……びな、……海老名、起きろ」 意識の遠くから呼ばれる声がはっきり聞こえ始めた頃、俺はゆっくりと目を開いたが、蛍光灯の眩しい光に、開いた目をまた細める。 「え! ここどこ!?」 飛び起きたときに突いた手からは、柔らかく弾力のある革の感触が伝わった。暗い山中の森にいたはずだが、今は明るい室内にいて、どうやら長いソファの上に寝かされていたようだ。 夢の世界は? 境越の長官は? 目の前で俺を起こしてくれていた様子の美海先輩を座ったまま見上げると、美海先輩は床から立ち上がって身体を横にずらした。先輩の影に隠れていた部屋の全容が、視界に広がる。 光沢のある大きめの机が正面に見えた。その左手にある机で、パソコンに向き合っていた女性がこちらに顔を向ける。 「意識はハッキリしているみたいですね」 「びっ……!」 美人!!!!!!! え、この方が境越祓所の長官様!? びっくりした。女優かと思った。え、実は女優とかじゃない? くそ、刀岐の奴なにも言ってなかったじゃないか、アイツこの野郎。 あれ、長官って若い男って言ってなかったっけ。いやもうどうでもいい気がしてきた。 そんなことをつらつらと考えていると、「お前な……」と、美海先輩に呆れた視線を向けられた。 「『び』……?」 美女は困惑した表情を浮かべていても美しいな、いや本当。 「あはははははは! 廊下まで叫び声聞こえたよ」 軽い笑い声と共にドアがスライドで開き、外から三善さんが顔を出した。その後ろに誰かもう一人いる。 「あー、海老名くんよ、こちらがうちの長官。そちらは、長官補佐の由良さん」 三善さんが笑いながら背後にいる人を紹介した。三善さんに続いて部屋に入ってきたのは、身長こそ高いが、まだどこか幼さの残る顔立ちの青年だった。 「えっと、夢路でも自己紹介したんだけど、……覚えてないかな。俺がここの長の奥田です」 そういってはにかんだ笑みを浮かべると、小さく咳払いをして「おこしやす、京都!」と歓迎するように両手を広げてみせた。 「……?」 ノリにすぐついていけずに俺が首をかしげていると、「長官、京都人は『おこしやす』とは普通言いません」と由良さんが呆れたように笑った。 ほわー…、なにやっても美しい。いや、そうじゃなくて……。 「ここ、京都っすか!?」 俺は長野の山中で寝ていたはずでは。 「そうそう、うちの本部。ここ、長官室。長官がここで寝て夢路繋いだから、そのままこっちに引っ張られてきたみたい」 帰りの交通費浮きましたね、と三善さんが由良さんに笑いかける。 「やっぱ、綺麗さっぱり忘れているか。まあ、あんな気持ち悪い世界、忘れたほうが良いけどな」 美海先輩が若干疲れたように呟く。 「ですよね。俺もあんな夢路は初めてで軽く引きましたよ。さながら地獄道だ」 奥田長官は、美海先輩と俺に真新しいタオルを手渡すと「とりあえず、お二人も顔を洗ってきてください。サッパリしますよ」と戸口を指さした。 まともそうな人だ、と思った。爽やかな好青年で、物腰も丁寧だ。うちの長官がファンキーじいさんだから、長官なんてみんな変人がなるものかと思っていたけど、どうやら余所は違うらしい。 ● 洗面所で俺が忘れている間の出来事――夢路についてを美海先輩が教えてくれた。 俺達三人は夢の世界で無事合流すると、そこで待機していた長官を案内役として元の位相へと戻ったらしい。夢異界の路は、どこからともなくうめき声が絶えず響き渡り、地面は動物の臓物を敷き詰めたような生臭さと嫌な柔らかさがあり、両脇の壁は延々と屏風絵が続いていたが、絵が動き、百鬼が夜行する様を描いていた。天井はガラス張りになって、ガラスの向こうには、大蟹が泡を吹きながらこちらにハサミを向けていたという。 そんな地獄絵図のような狭い空間を、歩いて戻ってきたというのだ。記憶が無くてよかったと、先輩の説明を聞きながら心底で思った。 「あれは多分、刀の影響だろうな。三善は大蟹切ったとか言っていたが、もっと他にも色々切ってるぞ、あれ……」 そんな刀を抜き身で持ち歩いていたのか、あの人。しかも、そんな人と丸一日一緒に行動していたのか……怖っ。 ● バスの運行を終えた運転手は、いつものように運行管理部に記録書を持っていくとタイムカードを切った。 「おー、お疲れー」 「亀井さん、お疲れ様です」 同時刻に仕事上がりとなった運転手二人は、更衣室に向かいながら今日あったことなどを報告し合う。 「そういえば、亀井さんが前言ってた変な話……僕も聞かれましたよ」 「ん? なんだったけ」 「ほら、姥捨神社は前からあったかとか、なんでしたっけ、カコイド神社はこの辺りに無いか? とか」 「ああ、その話な。他の奴も言ってるよな。酔っ払い客だったか?」 「いや、そんな感じじゃ全然なかったですよ。平日はサラリーマンやってそうな、真面目な感じの人でした」 ガチャリと音を立ててドアノブを捻り、亀井と呼ばれた運転手は更衣室に先に入る。 「ふーん……まあ、山の中ってのは、昔からなんかあるしなぁ。こういうのは、あんまり気にしないほうがいいぞ」 「お!お疲れさん。なんだ、また山の話か?」 更衣室に先にいて、着替えをしていた他の運転手が話に入ってくる。 「田中、お疲れさん。そうそう、また変なこと聞く乗客がいたらしいぜ」 「あの山はなんかあるよな、昔から」 「え、そうなんですか?」 「ほら、江戸時代に老人捨てていたっていうだろ。そういう怨念とか色々あるんじゃないか」 「おいおい、あんまり新人をびびらすなって。ほら、お前もそんな顔しなくても大丈夫だって、あそこ神社があるだろ。あそこの神主さんが供養してるから心配ないって」 先輩運転手の励ましに、怖がっていた新人運転手も表情を明るくする。 「ああ、神主さん! そういえば、今日も最終便で乗せましたよ」 「……え? 今日か?」 「はい、着物も着てましたし」 「俺、あの神主さん夕方の便で見たぞ」 「亀井さん、市内の川北ルートですよね。そんなはずないですよ、最終便に山で乗せたんですから」 「いやー、俺もう顔なじみだし、挨拶もしたから間違いないぞ。お前それ、他人の空似だったんじゃねーか」 亀井がそう言って笑うのに対し、田中はニヤリと意地悪く笑った。 「もしくはほら、ドッペルゲンガーってやつ」