「初めての実地調査が登山とはお前も大変だな、海老名」 新幹線の車窓から流れていく景色を見ながら、美海先輩がまだ眠気の残った声を出す。 「いや、そんなことないですよ。実地調査できるのずっと楽しみにしてたんで、むしろ嬉しいです」 自分が上げた怪奇現象に関する報告書が通り、今回初の実地調査を任されることになったのだ。ずっとデスクワークばかりで外に出たいと思っていたので、内心興奮が収まらない。 今回、怪奇現象の体験者に共通するのが「登山の後に起こった」ということなので、山に登って降りること自体が現象発生のトリガーになっているかもしれない、と考えられた。調査の工程に登山も含まれることになったので、今の俺達の格好は完全に登山者のそれだ。 指導役を任された先輩は「若いってすげえな」と小さく笑うと、「コイツはこれだもんな」と俺がいる更に向こう側――3列シートの通路側の座席で爆睡中の、境越祓所の人を顎で指した。確か、三善さんといったか。駅前で合流したときから眠そうだったが、座席に落ち着くなり速攻で寝入ってしまった。登山するために早朝合流をしたので、仕方ないと思う。俺は興奮しすぎて遠足前の小学生よろしく、昨夜は全然寝付けなかったが、今も眠気が来る気配はない。 今回、俺の指導役に美海先輩が選ばれた理由は、はっきりとは教えてもらっていない。けれど、他の先輩から聞いた話によると、美海先輩は怪奇現象が起こるとされる場所で100%の確率で現象を発生させる、あるいは怪異と遭遇するという性質らしい。この話を聞いたとき、七代前位に先祖が神格の高い怪異の恨みでも買って呪われた一族の末裔かなにかだろうか……と本気で疑った。発生確率がかなり低い場所でも怪奇現象を引き寄せるらしく、ご愁傷様ですと言わざるを得ない。SSR怪異の排出確定とか、かわいそうすぎる。 そういうわけで、確実に怪奇現象を起こして検証するために、こういった曖昧な報告案件には美海先輩がよく指名されるらしい。新宿歌舞伎町No.1ホストも驚きの指名率なんだろうな。もう指名手数料取ればいいのに。 だが美海先輩も俺も、怪異の対策にとりわけ強いわけではない。今回の怪異の全容が見えてこないため、万が一を考えて境越祓所と合同調査することが決まった。 三善さんは、頭から足元までオール黒の出で立ちで現れた。登山リュックも黒で、黒以外を身につけたら死ぬ呪いにでも掛かっているのだろうかと現在進行形で疑っている。正直、同期以外の他部門の人とどう接すればいいのか掴みかねていて、まだ突っ込んだことは聞けていない。すぐ寝てしまったし。 ――この人、なんか夜行性っぽいもんなぁ。 今回の任務の本番は深夜帯だけど、登山とか体力的に大丈夫なんだろうか。登山リュック以外にも釣り竿ケースみたいな長いバックを持っていたけど、何に使うんだろう。釣り? そもそも、真夜中の山道を想定するなら全身黒ファッションはどうなんだ。暗闇の中で見失いそうだから、なんか蛍光のたすきとか掛けておいてほしい。 とりとめのないことをつらつら考えていると、カートを押しながら通路を渡るグリーンアテンダントが目に入った。朝が早すぎて、何も食べていないことを思い出す。 美海先輩が「なんか軽く食うか」と言って、アテンドさんに見えるように小さく手を上げた。 「信州サーモンちらし寿司を一つ。――お前は何にする?」 “軽く”とは……と思った。いや、鮭おにぎり的な感覚だろうか。 「どれも美味しそうッスね……ええと、じゃあ、蕎麦みそカツサンドにします」 見ていたら俺もお腹が空いてきて、ガッツリめの駅弁を頼むことにした。 「じゃあカツサンド二つください」 え、まだ食うの? 「ありがとうございます。合計で2,550円です」 先輩から受け取ったお金をアテンダントさんに渡して駅弁を受け取ると、カツサンドのうち一つを三善さんが起きたら渡すように言われた。そういうことだったのか。 「それで、俺も調べてみたんだが、やっぱり『姥捨神社』に関する情報はあのネット記事1件しかなかったな」 「でしょう。いたずらって感じでもないですし、変な記事ですよね」 食べ終わった弁当を片付けながら、ボリュームを抑えた声で今回の件について話す。 「事前に三善から、あのルートを運行するバスの運転手の顔を全員チェックするように言われて調べておいたんだが、お前も確認しておいてくれ」 そう言って、先輩にタブレットを渡される。 「バスの運転手……? なんでまた」 うちの部門は他部門と違って少し特殊な扱いだ。およそ半数ほどが官僚であるため、公的機関への調査協力が受けやすい。 タブレットを開いて三人の運転手の顔写真を確認する。もっと多いかと思ったが、この人数なら覚えられるな。年齢は、中年から初老といったところだろうか。 「バス自体になにかあるかもしれない、と言っていたな」と先輩は答えると、まだ眠っている三善さんに視線を向けて「起きたら詳しく聞くか」と言った。 ● 「一応まだ仮説だけど。異界バスかもしれないじゃないですか」 十分仮眠が取れたらしい三善さんは、親しみのある笑みを浮かべて答える。集合時に挨拶したときは無表情で、正直怖い人かと思っていたが単に眠かったらしい。到着駅の一つ前で目を覚ますとカツサンドを食べ始め、「これでHP満タンッス」と爽やかに笑った。 駅から降りた俺達は、まずは明るい内に神社周辺を調査するということで、「神社前」というバス停まで徒歩で向かった。麓近くとは知っていたが、駅から歩いてほどほどに近い。 「異界バスって、バス自体がヤバイってことですか?」 「あー、場合によるかな。異界バスは大きく分けて二パターン。一つはバス自体が怪異、もう一つはバス自体は普通のバス。後者の場合は『異界を走っているだけのただのバス』だから、厳密にはバスは霊的な存在じゃない」 なるほど、分からん。異界を走っているバスが、ただのバスなわけないだろうと思うのは、俺だけか? 俺の困惑の表情を見たのか、美海先輩が補足を入れてくれた。 「この場合は後者のほうが実は厄介だな。解決しようがない」 いや、全然分からん。なんだなんだ、この二人。説明があまりお上手じゃありませんの? フォローがフォローになっていない驚きのあまり、お嬢様言葉になってしまった。なぜ後者が霊的な存在じゃないのかということからして意味不明なのであって、どちらがより危険性が高いかまで思考が追い付いていないんですよ、こっちは。……え、どうして後者がより厄介なんですか。分からんことが増えただけだった。 俺は神妙な表情を浮かべて頷いた。 「なるほど」 (いや、それしか言えないだろ! これ以上聞いたら、さらに疑問点が増えそうじゃん! 「先輩方、説明高次元過ぎますよ。もっと小学校に来た教育実習生くらいの気持ちで説明していただけないでしょうか」とか言えないって!) 「あれが社ッスね。東側にあるから囲井戸神社か」 三善さんがそう言って、足早に向かう。 ――囲井戸神社は、江戸中期に創建されたという。清らかな地下水が湧く場所に井戸を建て、その井戸を中心に祭事が行われるようになった。やがて井戸自体を神聖視してここに神社を建てたという。何十年も前に後継者は途絶え、今は町内会で管理しているそうだ。 周囲の雑草や落ち葉もこまめに掃除しているのか、社周辺は綺麗にされていた。 「特に変な感じはしねぇな……」と結論付けると、三善さんは道路を挟んで対角側に向かった。美海先輩と俺もそれに続く。 道路を渡って林に入ったとき、ぐっと胃を押されたような不快感が喉までせり上がってきた。 「うっ……」と思わず呻きが漏れ、口を手で抑える。前を歩いていた二人が驚いて振り返った。 「どうした?」 「大丈夫?」 「いや、大丈夫です! ……あー、やっぱ朝からトンカツはきつかったかもですね、はは……」 笑って濁そうとしたが、二人は怪訝な表情を浮かべたままだ。うわー、なんだこの空気。 三善さんは俺の顔を見た後、林の中に視線を向けた。視線の先は木々が生い茂っているだけで、社は存在していない。 時折ドングリの実が落ち葉の上に落ちて、カサッと音を立てるだけだった。暗いなかで聞いたら、獣が歩く音にも間違えそうだ。あるいは、おばけとか。明かりの少ない夜道を歩いていた昔の人なんかは、こういう自然の音から妖怪を想像したのかもしれないと、ふと思った。 三善さんから差し出された水筒の水を頂く。 ひんやりとした水が喉から食道を流れ落ち、身体全体に広がっていくような心地よさがあった。先程まで感じていた吐き気は失せていた。 ● あれからバスに乗り、登山もなにごともなく無事に終えた。山から下りて売店内の軽食スペースで早めの夕食を取り、お茶を飲んで一服する。 「お茶、足りてる?」 そう言って、新しい急須を持ってきてくれた店員のおばちゃんにお礼を言って、急須を交換してもらう。 「確かここのバスって、最終19時でしたよね」 美海先輩がそう尋ねると、「そうそう、19時5分よ。それ逃したらもう来ないから気をつけてね」と答えた。 スマホの時計を確認すると18:31と表示されており、まだ余裕がある。売店は19時で閉まるが、ここにいる人は車やバイクで通っているとのことだ。美海先輩と三善さんは、おばちゃんから色々とこの辺りの話を聞いている。 「俺、神社仏閣巡りとか好きなんですけど、この辺って囲井戸神社以外になにかあります?」 三善さんの言葉に、おばちゃんは「この辺は井戸さんだけねぇ……」と考えるように頬に手を当てた。あの神社は、この辺りの人には「井戸さん」と呼ばれているのか。 「ああ、でも……これ、前にも聞かれたことあったわね」 おばちゃんはそう言って少し黙ると、思い出したのか「そうだわ」と口を開いた。 「あなたくらいの年齢の子がね、半年前くらいだったかしら、ナントカ神社ってこの山にないんですか? みたいなこと言ってたわね」 自分くらいの年齢、と視線を向けられた。 「ナントカ神社……?」 「うーんと、なんだったかしら、……おば? ばばあだったかな、あまり聞き慣れない言葉で、おばさん忘れちゃったわ」 「姥捨神社、ですか?」 美海先輩がゆっくりと尋ねる。 「……あー! そうそう、確かそんな名前だったわね。有名な神社なの?」 「いや、割とマイナーッスね。この辺山が多いから間違えたのかも」 三善さんはそう言ってうまく誤魔化した。 ● 「俺達以外にも姥捨神社のこと調べてる人いるんですね」 売店から出てバス停に向かう途中、先程から気になっていることを口にした。 「そうだな。俺も少し驚いた。――大方、あのネット辞書ページかブログを読んだ人なんじゃないか?」 「もしくは……ネット辞書を書いた本人だったりして」 三善さんの声があまりにも平坦で、俺は両腕に鳥肌が立つのを感じた。 ――19:05ちょうど、バスが目の前で停車した。俺達以外の登山者がバスに乗り込む。 「最終便ですが、乗らなくて大丈夫ですか?」 バスの運転手が前方のドアを開け、心配そうに声を掛ける。 「大丈夫です。迎えの車が来るんで」と三善さんが言った方便に、運転手は納得したようで「ドアが閉まります」と言って扉を閉めると、ゆっくりと発車した。 「顔、見ました?」 バスが完全にいなくなると、三善さんは俺達を振り返った。 「ああ。事前に確認していた運転手のなかにいた顔だった」 「じゃあさっきのは普通のバスってことですか」 「だろうな。……じゃあとりあえず、23時55分のバスを待ちますか」 「もし、来なかったら……?」 どうするんだろうと思って、念のため尋ねる。 「もし来なかったらタクシーでも呼ぶよ。経費で落ちるし。でも……」とそこで区切って美海先輩に視線を向けると、三善さんは「ミミちゃん先輩がいるから100パー来ると俺は思うね」と言って笑った。 美海先輩は苦々しそうな顔を浮かべ「ミミちゃんはやめろ」とだけ言ったが、それ以外のことは特に否定しなかった。 バス停前にあるベンチに腰を下ろすと、三善さんは「修学旅行みたいでワクワクしますね」と笑った。この人、感性がユニークすぎないか。 朝の様子とは別人のように活き活きしている。やはり夜行性なのだろう。 「いや、この状況で修学旅行はねーわ」と、美海先輩が素で返す。 「三善さん、山登りした後でもお元気ですよね。やっぱ山とかはよく調査して、登り慣れているとかですか?」 俺も何かコメントを……と思い、咄嗟に浮かんだことを尋ねた。 「山? まあ、行くっちゃ行くけど。なんで山オンリーなんだ?」 不思議そうに返されて、俺のほうが一瞬答えに窮した。 「えーっと、ほら、山中異界とかって聞きますし、山には怪異がいっぱいいそうなイメージですし……?」 曖昧な返答だったが、「なんで疑問形」と三善さんは笑ってくれて、内心ホッとする。 「怪異って、怪しくて異なるって書くだろ。怪しくて、異なるってさぁ、――何から見てだと思う?」 三善さんはベンチに浅く腰掛けて背を寝かせるようにくつろいでいる。かさばる登山リュックは地面に置いていたが、長いほうの鞄だけは手に持ったままだ。 「ええと、……人間ですか?」 答えはすぐに浮かんだ。怪異という言葉を生んだのは、人間に違いないと思ったからだ。 「そう。人が認識して初めて『怪異』になるんだよ。人の認識外で起こるのは、ただの現象。だから、山とか海とか街とか関係ないんだよな。人がいれば、どこにだって怪異はある。――まあ、これは自論なんだけど」 そう言って三善さんは小さく笑った。 「確かに一理あるな。火山も、洪水も、原因が分かっているから今は自然現象だが、それが分からなかった時代は、荒ぶる神にされたり、怪物に喩えられたりしてきたわけだし」 美海先輩はそう言うと、「その自然現象も科学的に分かったつもりになっているだけのこともあるが」と、実感の籠った声で呟く。 「分かってくれます?」 賛同を得た三善さんは二ッと口端を上げて笑う。先程見た、少し陰のある笑い方は気のせいだったのかもしれない。外灯はポツンと立っているが、人の表情をはっきりと見分ける自信がないほどに、周囲は暗い。 「ああ、言わんとしていることはな」と美海先輩は頷くと、「だがこいつは単に山の怪談を聞きたかっただけじゃないのか?」と続けた。 はい? いえ、違いますけど。単に山登りが得意なんですねーという世間話のつもりでしたが。美海先輩もユーモアあふれる感性の持ち主でいらっしゃいますか。ひょっとしてこのお二人、天然さんでいらっしゃいますか。それとも思考回路がラビリンスなのか。 困惑した俺が何も言わないでいるのを同意と受け取ったのか、三善さんは「そうだったのかー、ごめんな、海老名くん。変な方向に持っていって」とすまなそうに言う。 いえいえ、むしろ今から変な方向に行きそうなんですが。 それはそうと、おばけトークは大好きだから、境越の人のガチ怪談は聞いてみたい。同期からも聞いたりするが、やはり経験年数長い人のほうが引き出しも多いだろう。 誰も止める者がいない状況のなか、「じゃあ、せっかくだしバスの話でもしよっか」と、三善さんは意気揚々と語り始めた。 ――大阪南部の過疎化が進んだ山間に行ったことがあるんだけど、目的の場所まではまあまあ歩くことが分かった。タクシー呼んだら来るかなと思ってスマホで検索してたら、小型のバスが真横に停車してきたんだ。よく見たら、俺が立ってるところには長い木の棒が地面に埋め込むように立てられていて、もしかしてこれバス停だったのかと思ったな。 目的地を伝えたら、そこ通るよって教えてもらって、ラッキーだと思って普通に乗ったんだよ。おかげで、目的の依頼主の家に余裕めに到着できた。バスはそのまま村の奥のほうへ走っていった。 除霊が終わってさあ帰ろうってときに、そういえば次のバスの時刻は何時だろうって気になった。依頼主のじいさんに聞いてみたら、この辺はもうバスは走ってないって言うんだよ。過疎化が進んで乗車客が減って、経営が難しくなったから路線が廃止になったらしい。もう十年以上前に。 じゃあ、あれはなんだったろうって気になった。じいさんも気になったみたいで、詳しく聞かれた。乗った場所とか、バスが行った方向とかを伝えると、あの奥に住んでいる人はもういないからバスが行くのはおかしいって言うんだよ。 話してても埒が明かないから、じいさんの軽トラに乗ってバスの行った方向に行ってみることになった。このじいさん、若い時からこういうよく分からん出来事に首突っ込んだり、わけのわからん遺物蒐集したりするのが趣味なんだ。それで生霊入った人形もらって騒動起きて俺が派遣されたんだから、いい加減懲りろって話なんだけどな。まあ、バス来ないだろうから駅まで軽トラで乗せて行ってくれるっていうので、とやかく言うのはやめた。なにかあったら引き返せばいいし。 じいさんの車に乗ってちょっと先に行くと、空き家になってかなり年数が経っていそうな廃屋がぽつぽつと点在していた。その奥はもう森っていうか、竹とか蔓とかが伸びまくって人が入れなさそうな藪みたいな状態で行き止まりになってた。 じいさんも「ほらな」みたいな感じだったし、じゃあ引き返して駅まで帰ろうって話してた時に、聞こえたんだよ。あの「シュー」って感じの、バスがドアを開くときの独特な音が。藪の奥から。どうやら、じいさんには聞こえてない感じだったし、その場では聞かなかったことにして帰った。 気にはなったし、後日改めて車で行って、藪に入っても平気な格好であの奥に入ってみたんだ。しばらくは獣道すらない藪の中を歩いてたんだけど、ちょっと抜けた先に円形の空間があって、そこにボロボロのバスが捨てられていた。でもそれ、俺が乗ったバスじゃないんだ。小型なのは一緒だったけど、可愛らしい動物の絵が車体に描いてあって、「せいしょうようちえん」ってひらがなで書かれてた。 三善さんが然るべき処理をしたところで話し終えると、自身の時計を見た。 「そろそろ時間か」 その言葉に吸い寄せられるように、山の奥から光が差し込む。ずっと暗がりにいたので、眩しく感じて思わず目を細めた。 山道を走ることを考慮してか、バスにしてはそれほど大きくない車体が目の前でゆっくりと停車する。 「ドア開きます」 マイクを通した声が届き、三善さんが言うバス扉の独特な開閉音が静かな山道に響いた。 「来ましたね~」 三善さんがそう言って笑うと、美海先輩が苦々しそうな顔で「分かっていたけどな」と溜息を吐いた。 スマホのホームボタンを押すと、23:55と白い文字が表示されている。 (急)に続く